参加型の努力は実態か、それともパフォーマンスだけなのか
国際的には研究・開発において参加型アプローチが重視されている。キューバ人たちもトップダウン開発戦略の限界を認め、アグロエコロジーや持続可能な開発を参加型で推進しようとしている(インタビュー2、19、25、26、2005)。キューバ全域で、参加型の計画や開発の重要性が増えていることを、多くの人々が「革命の中の革命」と説明したが、様々なレベルの政府やアカデミー、NGOで取り入れられている(インタビュー2、5、2005)。前述したように、キューバ政府は、ローカルなアグロエコロジー状態に適合した農業を発展させるため、ローカルな参加や意志決定を増やすことを重視し、この概念を支持している(Rosset and Medea, 1994: 21)。全国小規模農民組合のカンペシーノ・アグロエコロジー普及プログラムも、他の農民から学び教えあう真の参加型の取組みとして称賛されている(Perera, 2002)。 とはいえ、参加型のアプローチで、多少は有名なカンペシーノ・プログラムでさえも、本質的にはトップダウンの開発アプローチを維持しつつ、参加という言葉だけを取り入れて、専門家たちが作成したモデル農場を用いることに基づいているため、水平ではなく、むしろ垂直のコミュニケーション・パターンなのだ、と批判されている(インタビュー25、2005)。 同じく、キューバ政府も、参加型のアイデアを公式の政策声明に組み入れ始めてはいる。だが、これも農業省やキューバ政府内のパラダイム・シフトを真に反映するものではなく、実際の意志決定は極めて中央集権的な中でなされており、参加は情報のわかちあいやコンサルタント・レベルで起きているだけだ、との声もある(インタビュー20、2005)。
意志決定が中央集権的である一事例としては、サン・ホセ・デ・ラス・ラハスにおいて、地元ではCREEの閉鎖・移動が反対されていたにもかかわらず、それが中央政府によりきめられてしまったことがある。 本当の参加型のアプローチがアグロエコロジーに結び付くわけではない キューバ政府他の主体は、アグロエコロジー運動における「参加」を現実の実践としてではなく、ただ「概念」として取り入れているだけにすぎないとしても、これはさして驚くべきことではない。Nederveen Pieterse(2001)は、参加型の理論は、実際に実施することがきわめて困難だと主張しているし、参加型パラダイムが、大衆化したことにより、開発戦略や目標において参加そのものを目的化するために、参加主体を選ぶという状況も生じているからだ(Michener, 1998)。
キューバにおける慣行農業からアグロエコロジーへの転換は、主に政治的、経済的な理由から国家レベルで決められたことであり、生産者たちに必ずしも共有されているわけではない。このため、これが真の参加型の開発の達成につながらない懸念もある。また、ある一人の研究者は「本当の参加型の農村開発プロジェクトを推進した場合、そこではアグロエコロジー農法の採択に重点がおかれない傾向がある」とも指摘している(インタビュー23、2005)。 つまり、完全な参加型プロジェクトを実施すると、農場レベルでアグロエコロジーを実施する目標が達成されないという参加型プロジェクトへの懐疑論もあるのだ。 そのうえ、純粋な参加型のプロジェクトでは、キューバの優れた高等教育制度により達成された専門的な技術が活用されなくなるとの感覚もあった。 つまり、調査に参加したほとんどの生産者たちは、「参加」を貴重な概念としては認めているものの、参加という枠組み内で、本当にアグロエコロジーの開発が達成できるのかを疑問に思っているのだ。
平等と高い教育水準:キューバには参加型開発のための基礎条件が備わっている
キューバの公式政策やプログラムには「参加型」という言語が含まれる。だが、アグロエコロジーの普及は、トップダウンでなされてきたというのが、数多くの研究関係者たちの感覚だった。そこで、参加型のアプローチの余地が農村開発にはもっとあるかもしれない。 キューバで参加型の農村開発の真の事例として評価されるプログラムは、全国の3ムニシピオにおける参加型品種改良プロジェクトの創設だ。プロジェクトでは生産者はローカル種子の多様性を再発見することを支援される。遺伝的基礎や生物多様性、地元に適した品種利用を高めることが、深い参加型でなされている。生産者たちは、プロジェクトでは平等なパートナーとして扱われ、どうやって達成するかのビジョンや意思決定のやり方も指導されている(Interview 35, 2006)。 このプログラムは、開発プロセスに地元住民も含めて成功したことから、国際的にもかなり注目され、カナダ国際開発研究センター(IDRC= International Development Research Centre)等の機関からの多くの資金も受けている。 参加型の農村開発の可能性は、キューバでは、とりわけ、大きいかもしれない。キューバの農村では、医療施設や良好な住宅他の様々なサービスにアクセスでき、同様に教育水準が一般に高く、コミュニティの社会経済状態も比較的平等な傾向がある。参加型開発で一般的にネックとされるのは、地元の強力なエリートによってアジェンダが選択されたり、暮らしのベーシックニーズが不足することだが(Nel et al., 1997; Herbert-Cheshire, 2000)、これはキューバでは一般的でないであろう。
中間の道: 国家と社会とのシナジー
キューバのアグロエコロジー開発は国によって指導されている。この中に、どのように参加型の要素を組み込むか。このことを考える上では、純粋に参加型の発展ではないとしても、国家と社会のシナジーというEvansの(1996)概念が役立つかもしれない。国家と市民社会の双方のシナジーは、①社会資本レベルが高く、②強力、かつ、競争的な官僚組織があり、③社会経済的に公平で、④政治的な競争力が存在する文脈で最も起こりうる。 この研究は、アグロエコロジー開発における国家と市民社会とのシナジーを評価するためにデザインされたものではない。とはいえ、調査結果からは、国家と社会とのシナジーにつながる多くの要素があり、それが発展する多くの可能性があることも見えてきた。
高いキューバの社会資本
まず、一番目の社会資本だが、経済危機が国の自由化につながり、市民社会の力が、ますます強くなってきている(Aguirre, 2002; Otero and O’Bryan, 2002)。おまけに、キューバの農村では社会資本の水準が明らかに高い。ほとんどの生産者たちは、何らかの形式の協同生産組織に属し、社会主義制度も、ローカル、地方、国家レベルで集団行動を活発に奨励している。サン・ホセ・デ・ラス・ラハスの生産者たちも、全員が協同組合や都市農業組織のいずれかのメンバーで、大多数が革命防衛委員会(CDRs)、共産党等の農業以外の組織にも属し、非公式の地区協会でも活躍していた。サラゴサで開催された種子共有のワークショップでは、協同組合員たちは、自分たちのコミュニティと他国の農村コミュニティとを比較したが、キューバでは農民たちが情報、資源、専門技術をわかちあい、お互いを助けていることがわかったのである。
「団結した我々は、一人であるよりも強力だ」
とはいえ、ローカルな社会資本の強化に相容れない証拠もある。例えば、ある一人の生産者はこう述べた。
「国のソーシャルワーカーは、この数日私を訪ね、私の人生をより良くするために何が必要かを尋ねることでしょう。そして、私は彼らに言うつもりです。ですが、彼らが実際に私の問題に対して、何かやれるかについては疑問があります」(インタビューXI、2006)。
強力な官僚機構
キューバの政府当局は、生産者が直面する全課題に対処する能力は限られている。にもかかわらず、一般に、キューバには、シナジーの発展に寄与しうる強力な官僚機構がある。農業セクター内ではラ・アグリクルトゥラと植物防疫所が、主な官僚パワーとして機能しているし、若者ソーシャルワーカー(trabajadores sociales)やローカルな委員会も官僚的機能を実施する。上述したトップダウン型の開発の批判では「柔軟性がない規則を画一的に安易な適用すると、ローカルな公務員やその対応者である市民社会にもイニシアチブやイメージの余地を残さない」とされ、こうした機関がシナジーの障壁とされることもある(Evans, 1996: 1126)。とはいえ、ほとんどの生産者は、国の政策と官僚の行動を前向きに捉えており、そこには、まだシナジーを伸ばせる余地がある。
社会的な平等性
キューバの官僚組織は強力だ。それが、シナジーの開発に寄与するのか、それとも抑制にするのかはわからない。とはいえ、キューバの平等主義的な性格についてはほとんど疑問がない。 メキシコにおいては、大地主が小作人を支配する状況が一般的だが(Evans, 1996: 1128)、キューバの農村は、Evans(1996)が記載するインドのケララ州や台湾の平等主義とよく似ている。 台湾の事例と同じく、サン・ホセ・デ・ラス・ラハスは、ほとんどの生産者たちよりも所得や生活水準がかなり高い、何人かの「地元の名士」たちが住む地区ではある。だが、こうした違いも土地や労働力を所有することで得られたものではないし(Evans, 1996: 1128)、グローバル的には比較的小さく、どんな局地的なコンフリクトを起こすようにも見えなかった。つまり、それはシナジーの発展の障壁とはならない。
政治的な競争力
エヴァンス(1996)が潜在的にシナジーに役に立つと主張する最後の政治的競争力については、キューバ政府は一党制であり、表面的にはこの評価基準を満たさない。だが、キューバが政治的な競争力を完く欠いているわけではないとの証拠もある。多くの研究関係者は、複数政党がないにもかかわらず、大きな政治上の選択がキューバにはしっかりあるとしている。この競争力は、全国段階での公式選挙にもあるが、地方レベルではより明白で、多くの人々は地元での投票に関心を示している。また、選挙は、よきコミュニティのメンバーとしての評判によって選ばれていると説明されている。つまり、キューバの文脈はエヴァンスが説明する台湾のそれと同様かもしれない(Evans1996: 1127)。台湾では、全国レベルでは一党支配だが、政治的競争力(派閥内)が地方レベルでかなり普及し、結果として、シナジーを生み出す一助となっているのだ。
まとめ
キューバのアグロエコロジーへの転換は全国小規模農民組合等によるトップダウン開発戦略の枠組みの中で主に行われた。だが、同時にキューバの政府からの指導もあった。こうした団体は多くの場合、「参加」という言語を使っている。だが、これはまだ理論上のパラダイム・シフトにすぎず、まだ実践には至っていない。そして、国はラ・アグリクルトゥーラや植物防疫所を通じて、生産者たちの意志決定力を制限することで慣行生産からの転換を極めて直接的に行っている。アグロエコロジーを制度化させるこの戦略は、アグロエコジーの導入では大成功を治め、何人かの生産者は政府の行動を高く評価している。 とはいえ、トップダウン型のアプローチは、何人かの生産者が負担を感じているように、アグロエコロジーの発展には潜在的には問題があり、アグロエコロジー技術の採択が表面的なものとなってしまう危険性がある。 現実的に、生産者たちは、経済的な必要性や規制で強制される範囲内でアグロエコロジーを行っており、本当のアグロエコロジー的価値観の内面化はまだ乏しい。したがって、経済や規制が変化すれば、将来的にはアグロエコロジー技術は打ち捨てられてしまうかもしれない。
潜在的にこうした問題をかかえつつも、参加型の農村開発の努力に向けた運動も起きている。この取組みは、まだ全国小規模農民組合の事例やキューバ政府の修辞学かもしれない。とはいえ、参加型の作物育種プログラム等のプロジェクトには、さらに生産者が深く参加する可能性がある。 しかしながら、参加型のアプローチには、真の参加型の農村開発に向けた努力が環境持続性を重視しないというまた別の問題も提起している。
国家と社会とのシナジーというパラダイムでは、国家と市民社会の双方の役割を重視し、従来のボトムアップとトップダウンの二分法のジレンマに潜在的に対応できる。トップダウンの戦略は堅苦しすぎ、ドグマ的で、結果として生産者を遊離させてしまう。一方、参加型の戦略は、エコロジーのビジョンを組み込まず、結果として、慣行農業生産からの転換に寄与しないかもしれない。シナジーを発展させることが、強力な機関の支援と生産者の積極的な役割の双方を組み込んだアグロエコロジー運動を可能とするかもしれない。 キューバの状態が、この発展に役に立つとの証拠はある。とはいえ、シナジーがどの程度存在するのか。あるいは、どの程度将来開発されるのかを決めるには、さらなる研究が必要なのである。
【引用文献】
最近のコメント