圧倒的に強力な国家の役割
このように全国小規模農民組合や農林業技術協会等の民間組織や全国農業科学研究所等の研究機関が、アグロエコロジーへの転換では総合的な役割を果たした。とはいえ、国家の役割も見落とされてはならない。キューバ政府は、とりわけ、農業省や植物防疫所を通じ、アグロエコロジー運動の中心主体のひとつとなっている。 参加型の開発が重視されているとはいえ(Chambers, 1987; Nederveen Pieterse, 2001)、一般的に農業、とりわけ、環境問題への対応では国家の役割は明らかに重要だ。Bryant とBailey (1997)は、ローカル、全国、そして、グローバルな規模で調整する能力があることから、とりわけ、環境ガバナンスでは国家が重要だと主張している。
国家からの支援は、キューバでは、特に大きい。自由市場経済では、商品やサービスは市場から供給され、消費についても政府の規制が多少あるとはいえ、製品の消費力を決めるのは、各個人の資金力だ。とはいえ、キューバ等の社会主義経済では、商品やサービスの大半が国家から供給され、自由市場では数少ない製品しか販売されていない。 Otero と O’Bryan (2002)は、経済危機以降の外貨所有や民間ビジネスの合法化で状況が変わり始めている、と指摘する。とはいえ、いまだにキューバでは国家が社会経済動でかなりの影響力を持つ。国内農地の多くを統制し、生産者の農業投入資材の最大の供給者であり、国営公社(empresas)のネットワークを通して、生産物の第一の購入者で、流通者でもあるからだ。つまり、オルタナティブな生産に向けた国家政策が、キューバでは、とりわけ重要だ。国の政治経済が、生産者の有機農業生産を動機づける価格プレミアムも代表するからだ(インタビュー20、2005)。
農業省を通じてしか化学肥料が買えない
前述したように、キューバ政府が最も力を入れているのは農業生産性の向上だが、一方で、アグロエコロジー運動にも力を入れている。農地所有権の改革、CREEの開発、アグロエコロジーの研究・普及等、様々な政策を実施し(Rosset and Medea, 1994; Deere et al., 1998; P´erez and V´azquez, 2002; Funes, 2002)、最近はバイオコントロール製品に補助金も支給している(インタビュー19、2005)。植物防疫所もアグロエコロジーの推進では重要で、すでに1973年から総合有害生物対策管理(IPM)の研究プログラムに着手しているが、これは経済危機以降、より加速された(インタビュー19、21、2005)。 つまり、キューバが慣行農業からアグロエコロジーへと大転換できたのは、それを支援する国家政策や研究開発が行われたからだ。そして、同時に現場でアグロエコロジーが実践されているのは、政府が、ラ・アグリクルトゥラや植物防疫の地方支局を通じて、個人生産者を統制しているからだ。農薬使用が少ないのもそのためだ。労働力や機械使用だけでなく、農場規模の管理でも国は多くの権限をもち、国の生産への影響力はUBPCでは最も強い(Interview 20, 2005)。おまけに協力組合でも共産党代表が理事席に座り、政治や農業管理に深くかかわる。
農業化学資材を主に供給するのはサン・ホセにあるラ・アグリクルトゥラで、生産者の製品利用を直接、管理する。国内にある化学肥料や農薬等は限られ、化学投入資材は値段が高く、ほとんど農民たちは使えない。だが、生産者に化学肥料や農薬を購入できる経済力があっても、それをどの生産者が購入するかを決める決定権はラ・アグリクルトゥラにあるのだ。サン・ホセ・デ・ラス・ラハスでインタビューした農民のうち、国から化学資材を買えたのは一人だけだった。それは、彼の生産性の高さが立証され、かつ、過剰農産物を個人市場で販売する前に、あらかじめ全産物をラ・アグリクルトゥラに販売することに同意したからなのだ。それ以外の生産者は無農薬・無化学肥料ですませるか、贈答品としてこうした資材を得るか、友人や知人を介して闇市場で取得しなければならない。いずれも、ごく限られた量しか手に入らないし、違法に取得した製品を使うのにはリスクがある。つまり、キューバの生産者たちは、化学肥料や農薬の販売・流通の厳しい国家規制によって、自分で物事を決める力が否定されているのだ。
植物防疫所が農薬使用を監視する
農業投入資材の第一の供給者であるとともに、農産物のバイヤーでもあることから、ラ・アグリクルトゥラの生産者への直接的な影響力は大きい。しかし、植物防疫の代表の直接的な存在感は農場現場ではさらに大きい。植物防疫構造は、農業省から個々の国営公社レベルまであり、協同組合や個人農家にまで及ぶ。 例えば、サン・ホセ・デ・ラス・ラハスの生産者たちは、ほぼ毎月、植物防疫の代表がチェックのために訪問してくる。そして、間作からバイオ防除資材の適用までアドバイスを受けるのだ(Interview 19, 2005; Interviews I, II, IIa, 2006)。 こうしたチェックは、貴重な普及活動サービスとなっている。だが、同時に、生産者の行動を監視し、違法に取得した農薬を利用する等、不適切な実践を検出する機会にもなっている。
サン・ホセ・デ・ラス・ラハスでは、砂糖やタバコ等の重要な輸出用作物がさほどないため、植物防疫の統制も比較的ゆるい。だが、タバコを栽培するビニャーレス(Vi˜nales)のようにそれ以外のムニシピオでは、農薬を購入し、散布する前には、あらかじめ地元の植物防疫の代表から直接許可を受けることが必要だ(インタビュー27-33、2005)。 つまり、ラ・アグリクルトゥラと同じように、地元の植物防疫の代表も、個々の生産者が化学資材使用を使うかどうかに介入し、国が認める製品だけしか使えないのだ。
国家統制で自由な規模拡大ができない
農場現場での投入資材の厳しい規則に加え、農地の大半を国家が統制していることも、生産者たちの意志決定に影響している。例えば、調査に参加した生産者たちのほとんどは、労働力の不足や農地の立地条件から農場の規模拡大を希望しなかった。しかし、実態は自由市場での土地売買が禁止され、規模拡大にはすべて国の認可が必要とされるからであろう。 つまり、生産者の規模拡大でも決定権を持っているのは国家であり、化学投入資材の購入と同じく、農地を希望する農民は、規模を拡大したことが生産的で、キューバ社会のためになることを国家に立証しなければならないのだ。追加労働力を用いたり、トラクタの購入希望をする生産者も同じで、そのために国家に許可申請しなければならない。 もちろん、生産者が農地を入手できず、労働者を雇えず、機械を購入できないわけではない。とはいえ、これらには国家の許可が必要なことから、土地、労働、機械の面で、生産者は農場を獣に規模拡大できない。この国家統制によって、ほとんどの農場が比較的小規模なままに留まっているのだ。
トップダウン型のアグロエコロジー普及に対する批判
つまり、キューバで農薬や化学肥料利用が制限され、農場の規模が比較的小規模なままなのは、国家によって各生産者たちの行動が統制されているからなのだ。もちろん、個人的な信念や資材不足、伝統農業等の理由から、アグロエコロジーを選んでいる生産者もいる。とはいえ、彼らの行動も国家によって大きく影響されている。 アグロエコロジーの推進者たちは、慣行農業からの転換や持続可能な農業の進展で果たす国家の役割を強力な高く評価しているが、その一方で、アグロエコロジーの実践が本当に持続可能なものとなるには、もっと参加型の手法が必要だとの批判もある。 キューバでアグロエコロジー運動を推進しているのは、国家と全国小規模農民組合だが、その仕組みはいずれも中央集権的で、農村開発のやり方もトップダウンだと批判されているのだ(インタビュー20、23、24、2005)。このトップダウン的な性格は、長期的にはアグロエコロジーの進展にとって最大の脅威となるとする研究者もいる(インタビュー20、2005)。持続可能な農業開発では、参加型の取り組みが重要だと前に指摘したが、この概念とも明らかにそぐわない(Pretty and Hine, 2001; Pugliese, 2001)。
ラ・アグリクルトゥーラからは補助金付きの投入資材(インタビューVI、2006)があり、植物防疫も普及支援を行っている。このため、明らかに国に感謝している生産はいる(インタビューI、II、IIa、IIb、VI、2006)。調査に参加した生産者たちも、農村地域にサービス(住宅、医療、教育、より最近では電気圧力釜やホットプレート等)を提供するキューバ政府とその仕事ぶりを肯定していた。とりわけ、革命以前の暮らしを覚えていた生産者たちは、国を大いに支持し、誇らしげにこう主張した。
「フィデルは、世界史のどんな母親が産んだ中で最良のものである」(インタビューII、2006)
別の者は、「いつも我らのコマンダンテ、フィデルからの呼び出しに対応する準備ができている」と述べた(インタビュー11、2005)。
とはいえ、国のトップダウン型のアプローチに問題があることも明白で、植物防疫や他の政府の職員とのつながりが弱いことに苛立つ生産者もいた。植物防疫所の職員がごく稀にしか農場を訪れず、植物防疫上の課題対応の支援が不十分だと感じる生産者もいた。また、植物防疫所の職員が農場を訪問する際に、農民たちの側に立って前向きなフィードバックをしたり、良い仕事を強化しようとはしないと不平をもらす者もいた。不平をもらす生産者たちの間に一般的に見られた感覚は、多くの植物防疫所の職員が、困窮する農村生活の現実に目がゆきとどいていない、というものであった(インタビューIII、IV、2006)。 ある生産者はこう述べた。
「植物防疫所他の大組織で働く人々は、理論的な知識は多く持っていても、カンペシーノがなんたるかを理解していない」(インタビューX、2006)。
ラ・アグリクルトゥラに対しては、同じような不満を明白に述べた生産者は、ごく少人数であった。とはいえ、多くの生産者は、投入資材を買うだけの力がなく、かつ、国との生産契約価格が安いとの不満をもらした。 ある生産者は、農業マネジメントでいかに国家が強力に関与しているかの全体系を示し、人生の最大の課題が、農場に対する国の管理と規制に対応することだとまで述べた。国からの数多くの規制とその監査がストレスのもとだと指摘したのである(Interview 28, 2005)。
このように何人かの生産者は、植物防疫所に対して疎外感を覚えている。Freire (1982)、Chambers (1987)他は、これをトップダウン型の開発戦略の理論上の課題としているが、それが、農場レベルの人生に影響している事例であろう。 このように生産者の中には植物防疫所の職員に憤りを感じているものもいる。このため、植物防疫所のアドバイスや支援が常に歓迎されたわけではなかった(インタビューX、2006)。 普及員たちを疑う態度は、全国農業科学研究所が組織した種子交換ワークショップでも明らかだった。数多くの者が参加する意を示していたにもかかわらず、実際には協同組合員のごく一部しか参加しなかったのだ。この理由はどの生産者から明確には述べなかった。だが、ワークショップ・オーガナイザーは、多くの生産者が参加しない理由の一部には、何十年ものトップダウン型の農業開発による普及職員への不信感という歴史的な関係性によるものだと考えていた。 つまり、何人かの生産者は、何人かの普及組織やその職員との人間関係のまずさのために、貴重なアグロエコロジーの専門技術が伝達されないことがあり、結果として、アグロエコロジーのビジョンが効果的に実現されないままにあるのだ。
【引用文献】
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