サトウキビとジャガイモはいまだに慣行栽培
オルタナティブ農業がキューバではどのように定義されているのだろうか。ただ、それ以前に、キューバ農業がいまだに慣行生産から完全に転換していないことを指摘しておくことが重要だ。サトウキビ農業は、いまだに輸出志向の大規模なモノカルチャーだし、機械化され、農業化学資材、とりわけ、化学肥料に依存している。 キューバでは精糖産業への経済依存を減らすための集中的な取り組みがなされ、砂糖の生産量は1990年の約800万トンから2003年の230万トンとかなり減っている。また、時期に、農業の輸出収入も約40億ドルから7億5000万ドルに減少した(FAO, 2005)。 同時期に国内消費用の野菜生産は20倍、食用バナナの生産は7倍へと増えている(FAO, 2005)。とはいえ、こうした変化があっても、いまだに農地の約1/5に相当する約100万haはサトウキビ生産に振り向けられ、キューバ経済に重要な外為獲得源となっている。 経済的に重要であることから、砂糖産業ではアグロエコロジーの理想を推進する動きがほとんどなく、生産性と収益性を維持することが第一目標となっている。輸出用に有機認証砂糖を開発するプロジェクトがあるとはいえ、一般には、製糖業はキューバのオルタナティブ農業の議論からは外されよう。また、ジャガイモのようにアグロエコロジー農法で生産することが困難な作物も転換から除外され、いまだに大量の農業化学資材を適用することで通常生産されている。
キューバは生産至上主義
サトウキビやジャガイモがほとんど慣行技術で生産されていることから、全体的としてはアグロエコジーに向けた強力な支援があるとはいえ、キューバの農政がいまだに生産至上主義(productivist)の枠組みの下にあることがわかる。生産が優先されていることは、剰余生産を奨励する手法からも明白だ。各生産者は、余剰産物を販売する以前に、あらかじめ国との契約義務を満たさなければならない。そして、事前に合意した生産量を極めて安い値段でラ・アグリクルトゥーラに販売している。余剰を達成してのみ、国との契約価格よりもかなり高い、需要と供給で決まるプレミアム価格で民間市場で販売できるのだ。
機械化された「モノカルチャー」の砂糖プランテーションは、いまだにキューバの農地のほとんどを占めている
つまり、キューバ政府は、多くの人々がアグロエコロジーの理想と対立すると主張している「生産至上主義」のメンタリティーを奨励しているのだ(Allen and Kovach, 2000; Guthman, 2002; Ikerd, 2005)。 サン・ホセ・デ・ラス・ラハスで経済的に最も成功したある生産者はそのことを指摘した。
「私の夢は100%の有機農場を持つことだが、収量減をやりくりできないことから、それを達成できない」(インタビューVI、2006)。
さらに、氏はラ・アグリクルトゥーラが最も生産的だと考える生産者だけが投入資材を使えるため、生産の落ち込みは、資材の制約となるとも指摘した(インタビューVI、2006)。 農業生産性が重視されていることから、政府は、アグロエコロジーを、資源不足や食料安全保障問題へのプラグマティックな対応策として見なしていることがわかる。 多くの人々が、キューバ政府は哲学的な理由からアグロエコロジーを支持しているのではないと述べたが、経済開発と環境保全とを調和させることは、とりわけ、南側諸国では極めて困難で、一般的には環境よりも経済が重視される傾向があるとのBryant and Bailey’s (1997)の主張からすれば、これはさして驚くべきことではない。
低い農場現場の有機農業への意識
キューバで事例調査した農場は、一般的に、小規模、複合農業、輪作、休閑、混合農業、家畜牽引、そして、バイオ投入資材を利用していた。農場内で資源を保全・リサイクルし、農外からの投入資材を最小に抑える傾向も明確だった。農場は、家族や近隣の労働力に依存し、国に販売する以外の農産物は、地元販売されていた。このホーリスティックな低投入型農業モデルは、国内の主な農場でも明白で、Ikerd(1993) 、Altieri(1998)、Vos (2000)、Hall and Mogyorody (2001)、Rigby and Bown (2003)らが「理想的有機農業」として記載した内容ともかなり一致していた。とはいえ、平均的なキューバのカンペシーノのレベルで、このモデルがどれだけ自覚的に取り入れられているのかどうかについては、組織、研究、普及業務としてアグロエコロジー運動にかかわるキューバ人たちもかなり疑問を抱いている(インタビュー20、22、24、2005)。
事例調査した農家やそれ以外に情報を提供したほとんどの生産者は、農薬、ガソリン、電気、機械等を使うことを強く望んでおり、カナダ等の先進国の慣行農業モデルを理想的農場とし、キューバの低投入型モデルを低開発と同一視していた。
「今のキューバ農業はとても遅れています。以前はすべてがありました。すべてが機械化され、投入資材のすべてが再考でした。ですが、今は信じられないほど遅れているのです」(インタビューIX、2006)。
ある農民は、近代化をこのように切望し、飛行機で空中散布され、必要な投入資材がすべて買え、生産水準が高く、すべての労働が機械化されたカナダのような農場が欲しいとも指摘した。また、ほとんどの生産者は、慣行資材不足にいら立つとともに、持続性の定義もよくできていなかった。有機農業、持続的農業、アグロエコロジーに対する質問への対応も不確かだった。
多くの文献は、経済危機以降にキューバ農業が「有機」若しくは「持続可能農業」に転換していると述べている(Rosset and Medea, 1994; Rosset, 1997; Warwick, 2001; Funes, 2002)。そして、現場におけるデータもこの主張を大きく支持はする。だが、経済危機以前には簡単に実施できていた慣行農法に対してあこがれる感覚があり、持続的な農業についての意識も一般的に不足していることから、持続可能な農業の実践の多くが、思想的な理由よりも、プラグマティックな理由で取り入れられていることがわかるのだ。調査に参加した生産者のうち、エコロジー的な生産を意識的に定義した者はごくわずかで、ほとんどの生産者たちは、アグロエコロジーを政治経済の現実に実用的に適応したものと見なしていた。
とはいえ、多くの農民たちが多くの投入資材を望み、持続性についても定義できなかったことから、アグロエコロジーにまったくイデオロギーが付随していないわけではない。生産者たちの中には、農業生態系のバランスを維持する必要性に哲学的な信念を持ち、それを情熱的、かつ、雄弁に語った(インタビュー7、8、11、12、13、2005; インタビューI、2006)。 Ikerd(2005)等、有機農業の支持者が説明するように、思想的に有機農業に取組むメンタリティーを持っていた。この傾向は、とりわけ都市農場で一般的で、ある一人の都市生産者は「土地を愛し始めるとき、それがどれほど美しいか」と情熱的に説明し、「人間にドラッグがあるように、土には化学物質がある。それらは一時的に刺激にはなっても、長期的には悪影響をもたらす」と語り続けた(インタビュー7、2005)。また、一人のCPAの組合長は、こう述べた。 「アグロエコロジーはとても美しい仕事で生産的で、健康だ」(インタビュー11、2005)。 こうしたアグロエコロジーに対する思い入れは、CCSや個人農家よりも、調査に参加したCPAで一般的であった。このことは、CPAの組織構造も関係している。CPAでは、共産党のメンバーが理事となり、農場の「思想責任」を持つからなのだ(インタビュー8、9、2005)。 ほとんどのCCSや個人農家は、都市農家やCPAほどはアグロエコロジーには熱心ではなかった。だが、持続的農業を明確に定義し、化学資材を完全に使わず、オルタナティブなエネルギー源を導入することで、完全な有機農業生産を達成することに関心を示す者もいた。 また、ほとんどの生産者は、慣行型の投入資材を望み、持続性や有機農業についての具体的な質問にも応じられなかったが、一般には化学資材の利用を減らす考え方を尊重し(農薬をしばしばvenenos、あるいは毒と呼んだ)、生物多様性を維持し、土壌を保全するためにトラクタ利用も最小限に抑えていた。
アグロエコロジーは認証有機農業よりも下なのか
このように生産者たちのほとんどは、自分たちのエコロジー的な生産方法を自覚していない。だが、研究開発や農政、普及機関で働く人々は、キューバの農業転換を定義し、かつ、それをグローバルな農業開発の文脈内に位置付けようとしていた。研究機関、大学、NGO他の組織では、持続的農業の理論的基礎についての知識水準も高く、多くが、真に持続可能な農業を構築するには、エコロジー、社会、経済的な視点が必要だと述べた(インタビュー5、17、20、21、24、2005)。 持続的農業の多くの文献は、持続性と関連する環境、社会、経済概念を個々に分離せず、統合することが必要だとしているが(Ikerd, 1993; Altieri, 1998; Rigby and Bown, 2003; IFOAM, 2006)、彼らの立場はこれを反映している。また、慣行農業からシフトするキューバの運動は、幅広い世界の社会的持続性についての懸念を反映するものだという理解も全般的にあった。 とはいえ、こうした研究関係者も「有機農業」という言葉を使うことを避け、オルタナティブな生産を説明する際に「アグロエコロジー」という言葉を使うことを好んだ。 アグロエコロジーという表現が好まれる理由について、IFAD(2003)は、南側諸国では有機認証に様々なネックがあるためだと主張している。 ほとんどの慣行農業と比べれば、キューバの多くの農場で使われている化学資材の量は取るに足らない。とはいえ、有機認証で必要とされる完全無農薬・無化学肥料の生産者はごく少ない。キューバの有機農業が国際的な有機認証機関からはごく少量しか認証されていない。このため、ある一人の研究者は、「有機農業の世界的なリーダーとしてのキューバ」という評判について「いくらかは虚偽だ」とさえ述べ、キューバの有機農業は極めて限られており、一般的には都市菜園や国際NGOが支援するプロジェクトのものだけに過ぎないと指摘した(インタビュー23、2005)。
都市農業では例外があるとはいえ、キューバの農業は、いまだ化学薬品を完全に排除しておらず、ほとんどの農場では化学薬品が使用されていた。このため、どの研究関係者も、有機認証基準によればキューバの農業には、認証資格がないことを認めた。 とはいえ、いずれのケースであっても、その適用率は極端に低く、使用も再発防止ではなく、特定の課題に対処することを目的としていた。一人の研究者は、キューバ全域での化学資材の使用量が最低限度のものであるとし、例えば、トマトではほとんどが何らかの化学資材が適用されているが、その量はほとんどの国では無農薬とされるほど少量であると指摘した(インタビュー19、2005)。また、これと別の事例として、コーヒー生産については「コーヒーは95%有機と言える」と説明した。これは、発生した問題のうち、5%は農薬で対応されているという意味だ。それ以外の多くのケースは、バイオ的、耕作的、物理的防除がされているわけだ(インタビュー19、2005)。 作物のうち、最も慣行的に生産されているのは、サトウキビとジャガイモだが、この化学資材の使用量も他国より格段に少なく、例えば、ほとんどのサトウキビでは、いくらかの化学資材、とりわけ、化学肥料がいまだに使われているが、300kg/haと過剰な率で定期的に窒素が適用されている米国等と比べれば、その使用量は少ない(インタビュー23、2005)。 このように、極めて少量とはいえ、化学資材の使用が完全には除去されていない。それが、多くの研究関係者が、キューバのオルタナティブ生産については、アグロエコロジーがより適切と考える理由であった。
アグロエコロジーは、バランスを重視し、農業生産による環境負荷を最小限に抑えるものと見られている(インタビュー19、21、23、24、2005)。アグロエコロジーの生産の枠組みでは、統合病害虫防除等が奨励されるが、補完として最小限度の化学資材の利用は認めている(インタビュー19、21、23、2005)。 ある一人の生産者は、キューバのアグロエコロジー・モデルにおける化学物質の限定的な利用について、抗生物質のアナロジーで、作物に化学薬品を使うことは人間に抗生物質を使うことと似ているとし、それは特別な問題に対応する手段であり、必要悪と見なされるべきだとした(インタビューVIIc、2006)。持続的農業に最もコミットメントする者の多くも、この穏便なアプローチが適切だと考えていた。ある一人の研究者は、有機農業の支持者として高く評価されていたが、こう指摘した。
「キューバは完全な有機農業を達成するうえで絶好のチャンスにある国かもしれない。だが、それは論理的ではない。いくつかの化学物質は環境に害がないため、スマートで、賢く、中道主義でいかなければならない。持続性を化学物質の除去と同じに話すことは、あまりにも物事を単純化しすぎる」 (インタビュー24、2005)。
単純化してはならないというコメントには、有機認証ではキューバで転換が進む多面的な農業転換を表現するには不十分だという感覚があるであろう。 アグロエコロジーは有機認証を超えているのか キューバのほとんどの農場は、有機認証基準を満たしていない。このため、キューバのオルタナティブ農業を解説するにあたって「有機」という表現は公式にはふさわしくない。とはいえ、現在の有機認証基準は、無農薬と無化学肥料を重視し、モノカルチャーでの生産や非再生可能エネルギーの使用、投入資材や生産物の流通のあり方、農場の規模や農場の労働状態等についてはふれておらず、批判もされている(Allen and Kovach, 2000; Kaltoft, 2001; Rigby and Bown, 2003)。そして、こうした要素を考慮すれば、キューバのアグロエコロジーは、様々な意味でオルタナティブ農業のホリスティックなモデルと類似している。狭い有機認証基準では、世俗化(conventionalization)した有機農業も認められてしまうが、これを批判する人々が思い描く農業と同じなのだ(Buck et al., 1997; Guthman, 2002)。 なるほど、キューバでも化学投入資材をバイオ投入資材で代替していることは重要だ。とはいえ、シフトしているのはそれだけではない。トラクタが雄牛に代替され、潅漑にも代替エネルギーが導入され、石油消費を最小に抑えている。加えて、生物多様性が高まり(Leyva Gal´an and Pohlan, 2005)、農場規模も縮小していることが(Deere et al., 1998; Funes, 2002)、キューバのオルタナティブ農業の必須要素なのだ。 規模縮小は全国的に明白だが、サン・ホセ・デ・ラハスでも明らかで、動植物の生物多様性は豊かで、投入資材を多く使う農場でさえ、西側の慣行農業と比べれば少量だった。 つまり、適宜化学投入資材が使われていることから、キューバの多くの農業は「有機」よりも「アグロエコロジー」と言えよう。とはいえ、現在、キューバでは自給生産や地産地消が奨励されているが、同じく、地元流通される投入資材に依存している。すなわち、非常に重要なことは、キューバのオルタナティブ生産は、それ以外の世界でなされている数多くの認証有機農業よりも、何人かが有機農業の理想、あるいは「ディープ有機」(Ikerd, 2005)とするものに近づいているのだ。
キューバでは遺伝子組換え農産物も研究されている
それ以外の国と同じく、キューバでもGMOについて熱心に議論されている。そして、遺伝子組換えが持続可能な農業開発でどんな役割を果たすべきかについてのコンセンサスはほとんどない。何人かの研究者は、アグロエコロジーにGMOを含めることに猛反対したが、収量を落とさずに化学資材を減らす可能性があることから、注意が必要とはいえ、潜在的にGMOにはアグロエコロジーとの互換性があるかもしれないと考えている者もいた(インタビュー15、19、21、24、2005)。 将来的な可能性への準備として、キューバではGMOがかなり研究されている。とはいえ、農民の圃場等、非管理な状況での使用は、現在のところ例外なく禁止されている。 キューバでGMOが潜在的に魅力的なものとなる理由には、高い生産水準と長期的な持続性のいずれも達成するため、最新の進歩を取り入れた高度に近代的な農業技術の開発することを願っていることがある(インタビュー34、2006)。 これは、Rigby and C´aceres (2001)が指摘した「否定による有機農業」の実践にすぎない。とはいえ、キューバではGMOが慎重に管理されなければならないものであり、また、化学資材を減らしたり、食品の栄養価を高める前向きな遺伝子組み換えの技術と、多国籍アグリビジネスの権力を高めるためにデザインされた技術とは、明確に区別されなければならないとされている(インタビュー19、24、2005)。
まとめ
サン・ホセ・デ・ラス・ラハスの12農場や国内の他の農場を訪ねインタビューした結果からは、現在のキューバ農業があらゆる点で、有機農業の支持者たちが言う哲学的理想を実現していることがわかる。小規模な農場、混合農業、複合耕作、輪作、家畜トラクタ、家族労働、ローカルな流通、農場外資源(とりわけ、石油や農業化学資材)の最小使用と、参加型の農場の農業は、慣行生産のそれとは明らかに異なるモデルを示していた。 有機農業といっても「慣例化」されたそれは、大規模、機械化、アグリビジネスのコントロール、モノカルチャー生産に支配されているが、キューバの農業はこれとはまったく関連がなく、国際市場における高付加価値化で利益を得るという概念もなかった。農薬はいまだに使用されてはいるとはいえ、その散布量は極めて少なく、慣行の生産方法とはまったく比較にならないほどであった。つまり、ほとんどのキューバ農業は、有機認証基準は満たさないとしても、様々な意味で持続可能な農業のホリスティックな理想からすれば、こうした基準を越えている。 とはいえ、このホリスティックなアグロエコジー生産モデルは、研究、開発、普及、政策段階においては、かなり意識されているが、カンペシーノたちが持続的農業の思想を内面化させている度合いは、いまだにかなり低い。数多くの生産者は、いまだに慣行農法に戻ることを望み、アグロエコロジー的な理想よりも、生産性を優先していた。つまり、キューバのカンペシーノのほとんどは、実益主義の有機農業生産者という範疇に入ることとなろう。そして、政治経済条件がかなり変化すれば、おそらく、アグロエコロジーから再び慣行農法に転換することとなろう。1人のイデオロギー的な生産者は「エコロジー的な生産を維持するには収量が下がっても構わない」と明確に指摘したが、ほとんどの生産者たちは、どうすれば生産を最大にできるかで農法を決めていた。しかも、研究関係者の中でさえ、ソ連圏崩壊以降に崩壊した国家食料安全保障を達成することを、理想主義的な持続的農業の開発以上に優先する傾向があった。 すなわち、社会主義と持続的農業には関係があるする指摘(Foster and Magdoff, 1998)やキューバにおけるオルタナティブ生産は真の社会主義的農業を反映したものだとの指摘(Funes, 2002; Levins, 2002)は、この研究データでは証明できなかったのである。
【引用文献】
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