はじめに
キューバの持続的農業を議論する際、切り出すことが難しい課題のひとつは、現在行われている農業転換に対して、各個人がどのような信念を抱いているかだ。農民たちは、持続性をどう定義し、アグロエコロジーについてどう感じ、将来はどう思っているのであろう。 こうした思想的な内面に光をあてるため、データを使ってみよう。
まずは、サン・ホセ・デ・ラス・ラハス(San Jos´e de las Lajas)にある12農場についてふれてみたい。そのうえで、生産者や研究者、あるいは農業普及員たちが、キューバ農業をどのように定義しているのかを探ってみよう。そして、「持続性」、「有機農業」、「アグロエコロジー」等の言葉の定義の基礎となる動機についても探究してみよう。 サン・ホセ・デ・ラス・ラハスの12人の生産者を調査する この研究では、データは全国から集めたが、サン・ホセ・デ・ラス・ラハスのコミュニティに重点を置いた事例調査を行った。
サン・ホセ・デ・ラス・ラハスは、ハバナ南西部30kmに位置するハバナ州を構成する26のムニシピオの一つである。面積は600km²(6万ha)弱だが、州内で2番目に広く、州の10%を占めている。 総人口は69 000で、中核都市はサン・ホセ(San Jos´e)だが、公式には人口の大半が都市住民とされ、農村住民は少ない。人口密度は約116人/km²で、これは同州に典型的なものである。調査した3コミュニティは、サン・ホセ、サラゴサ(Zaragoza)、タパセ(Tapaste)と周辺農村部であった。 ハバナ州は、国内の孤立した他地域、とりわけ、東部やオリエンテよりも確実に開発されている。また、サン・ホセ・デ・ラス・ラハスには、数多くの工業や国の研究機関がいくつかあり、同州内の他のムニシピオよりも経済的に開発されている。しかし、産業があるとはいえ、ムニシピオの3/4以上は農業生産、とりわけ、牧畜業と酪農に用いられている。地区で卓越する土壌類型は赤色土(red ferralitic)で、一般的には生産的な土壌とされるが、この地区の表土はかなり浅く岩がちで、ムニシピオの南部や北東部では生産性が低い。
12人中、8人が経済危機を契機に新規就農
調査に参加した生産者12名の年齢構成は、30代前半から90代前半で、平均年齢は50代半ばだ。農村地区にある各農場や、都市や都市近郊にあるパルセル(小面積農園)の従事者は平均5人で、ふつうは家族からなる。全生産者は最低でも小学校(6グレード)レベルの教育を受け、12人のうち4人は「tecnico medio」(短大と同様)の学歴だった。うち、2人は農学、2人は農業とは無関係の学歴だった。大卒者はおらず、2人の農業技術者をのぞいて、誰も正規の農業教育は受けていなかった。 12人のうち4人は、1959年の革命以前から土地を所有していたか、両親か祖父母が土地を所有していた。革命以前に土地を所有していなかった8人は、いずれも経済危機以降に農業をはじめた。彼らが就農を決意した理由は、政府の政策が食料生産用に農地を提供したこともあるが、それ以上に、他の産業が崩壊したからである。以前の仕事は、建設業、ホテル・レストラン、機械、製錬、繊維工業で、就農以前に専門的な農業技術があったと述べたのは、ごく少数だった。とはいえ、多くは農村で生まれ、数年を農村で過ごした経験があり、農村生活にある程度の理解やシンパシーを持っていた。
働くのが大変なので規模拡大を望まない
調査に参加した生産者4人は、革命以前に少なくとも30haの農地を所有し、主に放牧や酪農生産を行っていた。革命政権による農地改革以降は、主に自給用の2haだけを維持することが許されたが、この面積は農業改革法が公式に認めた最大面積よりもかなり少ない。これは、ムニシピオ、サン・ホセ・デ・ラス・ラハスの生産者が、「スペシャル・プラン」と称されるプランに従事したためである(インタビューVIIa、IX、2006)。この計画の下、革命政府は、コーヒーやマメ生産の機械化を推進するため、ムニシピオの農地の大半を管理していた。しかし、現地状況に不適切な輸入品種を用いたり、水不足や専門的技術が不足する等の様々な理由から、このプログラムは失敗し、結局、大規模な柑橘類と畜産農場に転換された(インタビュー24a、2006)。
しかし、経済危機が始まると、カンペシーノ農業がなんとか機能すると想定され、国は再び彼らに農地を戻すプログラムを開始する(インタビュー24a、2006)。国営農場解体の全国的な動きに応じ(Deere et al., 1998)、サン・ホセ・デ・ラス・ラハスにおいても大規模国有地が小規模な多くの自立農家やCCS農場へと転換された。
事例調査を行った農場では、5ha以上は2農場だけで、ひとつは27ha、もうひとつが60haであった。これは、ムニシピオにある自立農家やCCS農場の規模を反映するもので、ある生産者は「カナダにあるような大規模農場は、キューバの概念ではない」と説明した(インタビューI、2006)。 生産者たちは農場の規模については大方満足しており、規模拡大の意欲を示したのは、既にかなり広い農地を手にしていた者だけだった。とはいえ、小規模な自作地しか所有しない生産者たちが、規模拡大を望まない理由として第一にあげたのは、その農場規模が理想的だと考えたからではなく、それ以上の農作業量を受けられないからであった。例えば、多くの生産者たちは、既にかなり長時間働いていると述べ、農作業を補助する労力を確保できないことから、たとえ収入が増える機会があったとしても、家族とのふれあいやレジャー活動の時間を減らしてまでも、さらに多くの時間を農業に割くことにまったく関心を持っていなかった。また、何人かは、規模拡大に関心があったが、それ以外の農場や高速道路、丘陵地等の立地上の制約からそれが不可能だと指摘した。「より大規模な輪作を行い、休閑期を設け、多くの家畜が飼育できることから、規模拡大は小規模な自作農家にも役立つ」と説明したのは、一人の生産者だけであった。しかし、そう答えた彼でさえ、労働が増えることから、多くの土地を持つことを考えていなかった(インタビューIX、2006)。 要するに、ほとんどの生産者は、規模拡大をまったく試みず、将来的に規模拡大する希望も示さなかった。だが、大規模農地を所有する2人の農民はそうではなった。うち一人は、7年前に国有牧草地を借りて農場を規模拡大していた。また、もう一名は、調査時点で、農場を拡大するため、国有地14haの貸借申請をしていた。規模拡大には政府の許可が必要である。そして、両人とも規模拡大した農地を効率的、かつ、効果的に活用できる生産的な農業者であることを政府職員に立証することが許可となる前提条件であると説明した。一人の生産者の姉妹はこう指摘した。
「国に与えれば、国は与えてくれるのです」(インタビューVIa、2006)。
すなわち、高品質の食料を大量に国に提供すれば、広い土地利用を認められるチャンスが大きくなる。 調査に参加した12農場のうち、8農場はCCSのメンバーで、2人は自立農家と分類され、残り2人は都市菜園者だった(1)。土地所有権で、公式に土地を所有していたのは、革命以前から土地を所有していた1名だけで、残りは利用権、すなわち、国有地だが無料貸借料で提供される農地で働いていた。しかし、一人の生産者は次のことを強く指摘した。
「土地で働く者が土地を所有するとフィデルは言う。そして、我々は働くから、それを所有している。なぜなら、フィデルの言葉がここでは法律だからだ。それは神聖なものなのだ」(インタビューVIII、2006)。
土地利用権に不満の意を表したのは、一人だけだった。彼が苛立ちを感じていたのは、牛の牧草地を利用するには2年毎の更新が必要で、その際、多くの書類提出や官僚的な手続きが伴うからであった。更新上の問題はこれまで一度もなかったが、継続利用が可能か不安だと憤慨していた(インタビューIV、2006)。それ以外の生産者は、土地所有権に誰も不満を漏らさなかったが、何人かは、一般的には人間は自分の所有地を大切にするため、キューバにおける土地所有の不足が、農業生産の低下につながっているとコメントした。
(1) CCSsは全国で最も一般的な形式の民間農場組織であり、1998年現在、約100万haを、CPAsは70万haをカバーする(Alvarez, 2002)。協同組合と同時に独立した農場を加えれば、キューバの農地の約四分の一は私的所有されている。すなわち、国ではない(Alvarez, 2002)。1997年時点ではUBPCsが土地管理構造で優勢で、キューバの農地の約40%を占めていた(Mart´ın, 2002)。残りの35%の土地は国により管理されたままで残っていた。また、1997年の時点では400ha以上が都市農業生産にささげられたことも指摘すべきである(Altieri et al., 1999)。国有部門は徐々に減っているがCCSs、CPAs、UBPCs、独立農家、都市菜園数はいずれも現在成長している。
多様な作物を栽培し、牛耕用に牛も飼う
サン・ホセ・デ・ラス・ラハスは、その土壌や気候条件から、砂糖やタバコの栽培地となったことはない。砂糖プランテーションでは、いまだにモノカルチャーが一般的だが、サン・ホセ・デ・ラス・ラハスの農場にはモノカルチャーの傾向がない。また、革命初期に大規模なモノカルチャー、コーヒー、マメ、柑橘類を生産する国の開発計画が比較的成功しなかったことから、自給ベースの生産が奨励されてきた。このため、この調査を行った農場は、例外なく複雑な複合栽培を行っており、年間を通じて15~35品目の様々な作物を栽培していた。この作物数は、ムニシピオの農業を一般的に反映するものだ。 農民たちは、国営公社(empresas)の代表や協働組合の代表(協同組合の組合員の場合)と協議して決められる年間生産割当てを達成する責務を負っていた。割当て量は、農地の規模、土壌の質、利用可能な労働者数等から決定され、国営公社は、この割当て量に基づき、固定価格で農民たちに全生産物の代金を支払っていた。それ以上の過剰生産物は、自家消費に用いられ、残りは、プレミアム価格で同じ国営公社に販売されるか、新たに法的に設立された地元の民間農民市場で販売されていた。農民たちがこのノルマを達成できない場合は、国の作物保険が財政赤字をカバーすることになる。 都市生産者の場合は、状況が若干異なる。地元の学校、病院他の団体に流通するため国に販売しなければならない割当て生産量が少なく、その生産物のほとんどを直接地元の消費者に販売できる。こうした私的売買は、配給制度外で行われており、消費者は、政府店舗から提供される食料を補完できる。
以前にサンホセ・デ・ラス・ラハスで重要であった作物は、キャッサバ、タロイモ、ジャガイモ、サツマイモ等の根菜類、マメ、バナナ、マンゴー、グアヴァ、アボカド、オレンジ等の果実だった。調査時点でも、こうした産物が農業生産のコアとして残っていたが、ほとんどの生産者は、民間市場の商品価値が高いことから、レタス、トマト、キャベツ等の野菜を生産計画に組み込もうと努力していた。生産者たちが栽培していたそれ以外の作物は、トウモロコシ、カボチャ、キュウリ、ビート、ホウレンソウ、ペッパー、タマネギ、ショウガ、ニンニク、レモン、グレープフルーツ、マメイ(mamey)、チェリモヤ、サトウキビ、ココナツ、ハーブ(オレガノ、バジル、クミン、アニス、マジョラム、コリアンダー等)、カカオ、コーヒー、米、マメ、薬用植物(ノニ等)、そして、装飾花である。さらに、通常、家畜を飼育する農民たちは、牧草地のうち小面積で、様々な草、ある場合はマメ科植物を維持していた。 調査した12農場では、2農場を除き、すべてが混合農場で、少なくとも1種類の家畜を飼育する有畜複合経営であった。家畜を飼育する生産者たちは、ほとんどが鶏を飼育していたが、ブタやウサギも共通して見受けられた。それ以外の食用家畜としては、ヤギ、アヒル、モルモット、七面鳥、魚が育てられ、さらに、2農場がハチを飼育していた。蜂蜜を作り、受粉を助けるためである。 また、半数の農場は雄牛を飼育し、土地耕作に用いていた。雄牛を用いない6人の農民のうち、3人は、家畜が使用できないほど農地が狭く、それ以外の3人は、革命以前から農業を行っており、2人はその時期からトラクタを持っていた。3人目は以前に牛を所有していたが、その後、盗まれてしまっていた。
トラクタよりも灌漑装置の方が重要
調査に参加した12人の生産者のうち、トラクタを所有していたのは4人、隣人のトラクタを使用できたのは1人である。協同組合には少なくとも一台のトラクタがあることが一般的だが、共有機械の需要は高く、ほとんど使えないと組合員たちは、説明した。つまり、12人のうち、5人はトラクタを使えたが、農作業の多くはいまだに手作業や雄牛でなされ、すべてにわたりトラクタ使用は控え目だった。それは、投入資材の経費が高く、スペア部品やガソリンが不足しているためであった。 トラクタが使えない農民たちのうち、3人は、機械を使う価値があるだけの広い農地がなく、2人はトラクタ利用が困難な山がちな土地で、2人はトラクタを使いたがっていたが、それが得られなかった。 また生産者全員は、トラクタが労力を削減になる良い手段だと述べたが、多くは同時に牛も楽しんで使っていると指摘した。トラクタを過剰に利用すると土が締め固まるが、牛はそうならないと評価した。
このようにトラクタは多くの農民たちに重要ではあったが、生産者全員がさらに重要としたのは潅漑システムであった。灌漑なしで何十年も農業をしてきた後、2年前に潅漑システムを導入したある一人の農民はこう指摘した。
「4万キューバ・ペソもするため、何年もかかった。潅漑なしでは生産を成功させる管理がほとんどできないために、それはそれだけの価値があった」(インタビューIX、2006)。
レタス、キャベツ、トマト等、有益な作物を生産するためにも、潅漑は重要で、潅漑をしていない1人の生産者もこう指摘した。 「キャッサバを植えた。だが、もし、雨が降れば収穫するが、降らなければ収穫しない」(インタビューVIII、2006)。 キャッサバはその領域で栽培される作物のうち、最も旱魃抵抗性のある作物のひとつであるにもかかわらずである。 調査した12人の生産者のうち6人は、自前の潅漑装置を手にしていた。うち、4つはガスで稼働する動力付きのモーターのスプリンクラー装置で、一つは電気スプリンクラー装置で、一人の生産者は、自力でユニークな自己動力のドリップ灌漑装置を開発し、特許さえ取得していた。 ガスの灌漑ポンプは、燃料代が高くため、一人はポンプ用に手回しクランクを導入していた。そして、ほとんどの生産者は、電力モーターに切り替えたいと望んでいた。とはいえ、電力で潅漑するにはCUC(外貨交換ペソ)が必要で、最も成功した生産者以外は、経済的に手の届かないところにあった。潅漑によって生産は劇的に改善できるため、灌漑装置を手にしていない6人の生産者のうち、3人はすで井戸を準備し、動力源を導入できるチャンスや資金が手に入ることを待っていたのだった。
ガソリンが入手できないため、手動力用に改造された揚水ポンプ とポンプがまだ導入されていない井戸。農民たちは風車にも期待している。
地力維持と作物の病害虫対策
サン・ホセ・レ・ラス・ラハスの土壌条件については、地力が貧しいと述べたのは3人だけで、かなり良いとのコンセンサスがあった。とはいえ、生産者全員が、納得がいく収量を得るには、何らかの手段で地力を高める必要があると述べた。経済危機以前では、この地域の最も一般的な地力改善策は、化学肥料で窒素、カリウム、リン酸を施肥し、あわせて厩肥や堆肥を適用することだった。全ムニシピオには農業省の支局として生産者に資源を提供するラ・アグリクルトゥーラ(La Agricultura)がある。化学肥料は、このラ・アグリクルトゥーラや協同組合から直接購入することでいつも使えた。また、化学肥料を補完するものとして、地元の国営牧畜農場の有機資材も十分利用できた。 しかし、調査した時点では、「状況がかなり変化した」と農民たちは説明した。一人は現状をこう述べた。
「今は何もありません。すべてが失われています。私どものあらゆる資源は失われています」(インタビューXI、2006)。
望まれる生産水準を達成するには、肥料が欠かせないが、土づくりの能力に満足していたのは4人だけだった。うち、2人は都市生産者で、有機資材利用を最優先し、もう1人は国と契約したヤギ乳生産を行っており、ヤギ乳が最優先産物であることから、有機資材を優先利用できていた。そして、4人目は、ムニシピオ内で最も成功した一人として有名な農民であった。その生産水準が高いことから、利用可能なものは何であれ、ラ・アグリクルトゥーラが保障していたのである。 これとは対照的に、それ以外の農民やその家族は、肥料を得る可能性が不足し、それによって生産成果が限られることを真剣に懸念しいら立っていた。 この状況は、キューバ農業がソ連からの支援にいかに依存していたか、そして、ソ連圏崩壊で引き起こされた輸入化学肥料の80%の減少がどれだけ地元の農民たちに深く影響したかがわかる(Rosset, 1997; Deere et al., 1998)。 そして、量的に不足しているにもかかわらず、地力向上のために、いまだに用いられている方法のひとつは、化学肥料であった。時たまではあったが、化学肥料はほぼ全生産者が用いていた。例外は化学資材の適用が違法とされる都市農業の2人であった。とはいえ、化学肥料を使用しているとはいえ、それを得ることは極めて困難で、その適用は非常に稀だった。また、ほとんどの生産者は、用いた化学肥料のソースを明かすことを躊躇し、闇市場にアクセスした友人から「贈り物」として得たと示唆した。一人の生産者は、それは、潜在的にリスクがあると説明した。というのも、違法に肥料を取得すると、拘留刑を含め、逮捕される可能性があったからである(インタビューVIII、2006)。 また、数多くの生産者はチャンスがあれば化学肥料を使うとしたが、近代的工業型農業の基準からすれば、ほぼ無化学肥料とされるほど稀な事例であった。 また、生産者全員は、化学肥料利用が増えることに感謝していたが、12人のうち7人は、人間や土地の健康に対する化学物質の悪影響を指摘し、無化学肥料が多くのメリットをもたらすと指摘した。例えば、この地域は水不足に悩まされているが、有機物には保水効果があるからである。
調査に参加した農民たちが用いる非化学的な農法は、厩肥、堆肥、カチャザ(cachaza)、作物残差、ミネラル、バイオ肥料、ミミズ堆肥を適用することであった。ミミズ堆肥は、比較的最近のイノベーションではあったが、生産者たちの間ではとても人気があり、多くが既に用いていたり、使い始めるつもりだと指摘した。例えば、調査した時点では、ある地元の協働組合は組合員に有機資材を供給するため、ミミズ堆肥センターを計画していた(インタビューIX、2006)。 バイオ肥料の成功も目覚ましく、例えば、農業科学技術研究所(INCA)が生産するバイオ肥料、エコミック(Ecomic)は収量を15~60%高めることがわかった。とはいえ、後に詳しく論じるように、オルタナティブ肥料は、資源制約から使えないことが多い。
作物防除については、化学肥料と似たり寄ったりで、ほとんどの生産者は、化学農薬を入手することが極めて困難だった。とはいえ、生産者たちは、病害虫については地力ほど懸念せず、ほとんど深刻な問題がないと述べた。そして、非化学的な防除手法では、病害虫のすべてを防除はできないものの、ほとんどの生産者が一般的に満足していた。 病害虫問題に対応するため、全生産者たちが指摘した主な方法は、混作と輪作だった。害虫を混乱させる手段として混作が認められ、比較的狭い範囲で集中栽培されていた。例えば、1~2列である作物を樹間に作付けたり、間作しているのだ。
マメと混作されるトウモロコシと害虫忌避に役立つマリーゴールド
この事例はトウモロコシとマメの混作で、農場の約半分で行われ、それ以外の数人の生産者もこの混作を将来行うことに関心を示した。また、多くの農場では、病害虫対策として、ニームやマリーゴールド等が用いられていた。前述したようにトリコデルマ菌やバチルス菌等の防除資材はCREEで生産されている。とはいえ、これを用いていたのは2人の都市生産者と農村部の1農場だけだった。
文献を読めば、アグロエコロジー開発の極めて重要な要素としてCREEが取りあげられている(P´erez and V´azquez, 2002)。そして、国内の多くの地域ではたしかにそうなのだ。とはいえ、サン・ホセ・デ・ラス・ラハスで調査に参加した生産者のほとんどはCREEの製品が利用できていなかった。この問題は、後で詳述する。
カンペシーノの哲学者
ペドロア(Pedroa)氏は農村で育ったが、カレッジに進学し、法律の資格を取得し、住宅部局(la vivienda)の国家公務員として働いていた。しかし、1990年代前半に就農を決意し、都市農業運動の担い手として再出発することとなった。この運動は都市部の食料安全保障を高める手段としてキューバ政府が促進したものだ。このこと事態はさして珍しい話ではない。とはいえ、ペドロ氏がユニークなのは、経済的な理由からだけでなく、哲学的な理想として持続的農業に関わっていることで、氏は、地球や人類が長期的に生存するには、それが不可欠だと信じているのだ。 すべての都市生産者と同じく、ペドロ氏も化学肥料や殺虫剤を使うことを禁じられている。だが、氏はさらに一歩踏み込んで、他の外部投入資材も極力減らそうと試みている。投入資材に依存していては、真の農業の持続性と相容れないと信じているからだ。この取り組みにより、氏の経済的収益は最初は下がった。だが、氏にとっては利益をあげるよりも信念のほうが大切なのだった。この態度は長期的には大きな見返りがあろう。事実、氏は質の高いエコ生産物の評判は高く、現在は、成功した都市生産者の一人として、良い暮らしができている。 生物学的有害生物管理について論じあう地元集会で、氏は、農地の害虫をすべて防除するメンタリティを批判し、たとえ、害虫であっても、生態系内に維持する価値があると率直に指摘した。氏は創意工夫した例として、vivijaguaとして知られる害虫を解決するため、バラを植え、バラがこの葉を食害する害虫を引きよせられることを証明してみせた。氏は、この技術を用いることで、自分の農業生態系からすべての生物を取り除かずに被害を防ぎ、さらにバラを販売することで収益もあげられたのだ。 氏は、何世紀もの慣行農業の経験を通じて作り出された人々のメンタリティは容易に変えられないことをわかっている。とはいえ、永遠の楽観主義者として、日々、多くの人々がオルタナティブな手段を学ぼうとしていると指摘した。 イノベーターとして、氏は電力がいらないユニークな潅漑装置を開発し、その特許を取得したことで有名である。氏は、他のコミュニティの住民にもこの成果をわかちあい、海外にもデモンストレーションのためにでかけているが、さらにアグロエコロジーを普及したいと夢見ている。例えば、アグロエコロジーを教え、ワークショップを運営できる教室を自分の農地に建てることを望んでいる。また、作物の実験結果のデータベースを作成し、コンピュータを使って、教材として発信したいと切望している。
【引用文献】
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