政府は有機農業政策に力を入れ住民参加も推奨
Pretty and Hine (2001: 73)は、こう述べている。 「様々なレベルでの適切な政策的支援がなければ…、有機農業がもたらす改善は、せいぜい局所的なものにとどまり、最悪の場合は委縮する」 こんな感想が出るのにはわけがある。有機農業の奨励策で失敗するどころか、多くの場合、補助金やインセンティブで慣行生産を支持する一方、政府の政策で有機農業が抑制されることもあるからだ(Pretty and Hine, 2001; Funes, 2002; Gomez Tovar, 2005)。そして、キューバは、有機農業への転換で国が積極的な役割を果たしたことから、極めてオリジナルな事例として有名である(Funes, 2002)。また、多くの国では、農業化学資材の多国籍企業が、農業政策に影響を及ぼし、国策と癒着して慣行生産に有利な状態を作り出しているが、キューバには、アグリビジネスもないため、その恩恵も受けている(Funes, 2002; McKibben, 2005)。
経済危機以前のキューバは、環境問題で世界をリーダーするとは、とうてい考えられてはいなかった。だが、リオ・デ・ジャネイロでの1992年の地球サミットで、フィデル・カストロは、持続可能な開発の強力なアドボケーターとして国際舞台に登場する。
「環境を台無しにするライフスタイルや消費習慣を第三世界に移すのを止めよ。人間の暮らしをより合理的にせよ。公正な国際経済秩序を採択せよ。汚染なき持続可能な開発を達成するために科学を用いよ。対外債務ではなくエコロジーの負債にこそ支払え。人類ではなく、飢餓をこそ根絶せよ」
カストロはこうスピーチしてみせた(Castro, 1992)。このカストロの主張が、国家レベルで有機農業政策を推進する基調となった。この転換はただ必要性に迫られてなされたものだと主張する者もいる。だが、持続可能な自給自足の農業生産の哲学はキューバ革命にとって常に重要であり、ソ連型の産業モデルを採択したことは「植民地化された精神状態を反映し、外部から科された開発戦略として後悔されていた」とも主張されている(Rosset and Medea, 1994: 8)。
カストロの動機が何であれ、現在は、それは「リアルな社会主義農業」と呼ばれ、カストロとその政権は、明らかに有機農業生産を支援している(Chaplowe, 1998: 49)。なぜなら、その原則が「他国籍企業に依存することなく、自給自足を支持し、ネオリベラリズムによって推進される悪質なグローバリゼーションに対抗し、社会的な公正と連帯、より人間的なグローバリゼーションを支持するからである」(Funes, 2002: 22)
キューバ政府のイデオロギー的な立場は、有機農業を推進する直接的な政策手段へと転換された。1990年代前半までは、包括的に政策が変わることはなかった。だが、1970~80年代にかけ、数多くの政府の職員たちは、ソ連型農業に幻滅するようになり、農業省の研究者たちもバイオ生産技術に重点に置き始めていた(Rosset, 1997)。研究レベルでオルタナティブ農業はインフォーマルであった。だが、1990年代前半に農業省が正式に「オルタナティブモデル」を採択すると、何十年も前から存在していたそれが公式に政府の政策となったのだった(Rosset and Medea, 1994)。 このモデルは8つの明確な目標から構築されている。 ①外部投入資材をローカルな知識で代替、②農業の多様化、③トラクタ他の機械を雄牛に交換、④農薬への依存を減らすため、統合有害生物管理の採択、⑤持続可能な新技術の研究開発を支援、⑥大規模な有機農法トレーニング・プログラムの実施、⑦農民たちの間での協力の奨励、⑧労働徹底的な持続可能な農法を実現するため農村で適切な労働力を担保するため、都市化の傾向をスローにするか、あるいは逆転させる努力(Pretty and Hine, 2001)。
慣行農業を転換するため、キューバ政府は様々な政策を実施していく。その一例が、1993年の農村での土地所有改革であり、これは有機農業の成功に欠かせない小規模な管理を可能とする小規模な土地単位を作り出した(Rosset, 1997)。また、全国生物害虫防除プログラムの一貫として、CREE(Centros de Reproducci´on de Entom´ofagos y Entomopat´ogenos)を創設したことも重要である(P´erez and V´azquez, 2002)。 現在、キューバ国内には280ものCREEのネットワークがあり、各CREEは地元の病害虫問題に対応するためバチルス菌(Bacillus thuringensis)やトリコデルマ菌(Trichoderma spp.)等のバイオ農薬を生産している(P´erez and V´azquez, 2002)。
CREEの開発や土地所有権の改革に加え、政府は全国でアグロエコロジー普及プログラムを設け、有機農業に重点をおいた研究開発に投資し(Funes, 2002)、農村部に質の高い住宅やコミュニティ施設を建設し(Rosset and Medea, 1994)、農業省内に都市農業局を創設し(Warwick, 2001)、都市地域での農薬使用を禁止している(Chaplowe, 1998; Altieri et al., 1999)。こうしたイニシアチブのいずれも、有機農業への転換を奨励するようデザインされている。 また、キューバ政府は、初等教育や大学レベル教育に一貫した投資を行ってきた。これは、有機農業の支援を意図したものではないが、結果として、有機農業転換の一助となった。キューバは、他のどのラテンアメリカ諸国よりも一人当たりでは科学者が多く、農業教育や技術教育のレベルも高く、国民の教育水準も高い。これが、有機農業のように知識がベースとなる農法を導入する重要な要素となった(Rosset, 1997)。
キューバ有機農業グループ(GAO= Grupo de Agricultura Org´anica)のマリア・デル・カルメン・ペレス(Mar´ıa del Carmen P´erez)は、キューバ国民の教育水準の高さが有機農業の成功と関連しているとし、こう述べている。
「革命の歳月を通じて蓄積されたキューバ人民の文化的、政治的、そして、技術的な準備が、無教育な人民では成功しては直面できなかった1990年代の始めに起きた変化の決定的なファクターだと判明したのです」(P´erez, 1999)。
このようにキューバの有機農業への転換では、国が重要な役割を果たした。とはいえ、有機農業や持続可能な開発が成功するには、地元住民たちの参加も欠かせないと考えられている(Pretty and Hine, 2001; Pugliese, 2001)。そして、文献からは、キューバでは多くの課題がトップダウン型であるにもかかわらず、農業においては、政府が参加を支援し、農業部門の分権化を可能としたと示唆している(Wadekin, 1990)。 例えば、政府は、参加型の教育、とりわけ、持続性や有機農業に配慮した教育を促進している。このアイデアは、1997年に「キューバ国家環境教育戦略」において公式発表され、環境教育は「アクティブで、フレキシブルで、参加型で、創造性や知性を刺激するものであり、主体と客体との関係が完全にツーウェイで相互作用するものである」と述べられている(Garc´ıa, 2002: 104)。また、農業省も公式政策として「意志決定や地域のアグロエコロジー条件に適合した農業の開発にあたっては、ローカルの参加を増やすことを重視する」としている(Rosset and Medea 1994: 21)。この取り組みの一貫として、キューバ政府は、農民から農民への活発なトレーニング・プログラムを通じ、農村住民の伝統的な知識の伝達を奨励し、研究と政策の双方にこの知識も含めているのである(Rosset and Medea, 1994; Garc´ıa, 2002)。
NGOが草の根で支援
キューバの有機農業への転換では国が果たした役割が大きい。だが、「参加型」や「ボトムアップ型」の開発の成功事例としてもあげられる。個々の農民たちが、自分たちの条件に応じ低投入型の有機農業技術を採択しているという(Rosset, 1997; Altieri et al., 1999; Funes, 2002; Garc´ıa, 2002)。例えば、有機農法の共通する技術には間作があるが、Rosset (1997: 301)はこう指摘する。
「これはボトムアップの事例のように見える。新たな農業政策の結果、農民たちが自分自身で生産管理をできるようになったため、明らかに効果的なこの農法を実践に移している」
有機農業運動の柱となった都市農業の拡大でも同じことが言える(Altieri et al., 1999)。都市農業は、最終的には、国が支援することとなったが、初期段階の発展は「大がかりな大衆の対応」とされ(Altieri et al., 1998: 132; Warwick, 2001: 55)、Chaplowe(1998: 56)はこう説明するのだ。
「都市菜園の将来を担保するため、コミュニティに投資がなされ、ローカルな参加や意志決定が奨励されている…それは、草の根の原則を重視している…」
農村地域においても、非政府組織ANAPが根の根から有機農業を強力に支援している。ANAPは1970~80年代にかけては、協働組合化(cooperativization)を奨励していたが、同じやり方で、1990年代には有機農業を奨励し、現在では、アグロエコロジーの推進を自分たちの主目的としているのだ(´Alvarez, 2002; Perera, 2002)。有機農業への転換を推進するため、ANAPは、①小規模農民や協同組合組合員の能力構築のための全国トレーニングプログラム、②ローカルなテレビ、ラジオ放送や雑誌を通したアグロエコロジーの情報伝達、③アグロエコロジーを支援する農民、科学者、普及員たちのネットワークの構築、④農民から農民(campesino-a-campesino)として知られる全国プログラムを創設している(´Alvarez, 2002)。農民から農民プログラムは、カンペシーノたちの最善の実践事例を掘り起こし、水平の草の根的なやり方で普及していく運動である。持続可能な農業を推進するため、農民たちの間で知識を伝達し、わかちあうようデザインされている(Perera, 2002)。ANAPが実施するどのイニシアチブの核心にも「参加型の取り組みによって、農民たち相互が教育しあうことを可能とし、伝統的な知識と新技術の実践を結合する」という理想があるのだ(´Alvarez, 2002: 82)。
研究者たちが1993年に設立した「キューバ有機農業協会(ACAO = Asociac´on Cubano de Agricultura Org´anica)も、ANAPと同じく、新たに開発された有機農業技術や有機農業の原則とマッチする伝統的な農法を農民たちが相互に学びあうことを重要視した(Funes, 2002)。ACAOは、1999年にキューバ農林業技術協会(ACTAF= Cubana de T´ecnicos Agr´ıcolas y Forestales)に組み入れられ、GAOとなったが、有機農業推進の成果を評価され、オルターナティブ・ノーベル賞(Right Livelihood Award)を受賞している(Funes, 2002)。また、キューバ教会委員会(CIC= Consejo de Iglesias de Cuba)やキューバ女性連盟(FMC=Federaci´on de Mujeres Cubanas)等のNGOも有機農業への転換支援で積極的な役割を果たした(Nieto and Delgado, 2002)。例えば、2003年にキューバ教会委員会は、オルタナティブ農業を希望する人向けに、堆肥、バイオ防除、オルタナティブ・エネルギーとあらゆる実践情報を提供する啓発パンフレット「オルタナティブな道(Caminos Alternativos)」を発行している。
有機農業への国際的な支援
キューバの有機農業運動には、数多くの国際機関も関わっており、トレーニング、能力構築、インフラ改善、ネットワークや普及支援で、キューバのNGOと協働している(´Alvarez, 2002)。例えば、国連開発計画(UNDP)の持続可能なネットワークと普及プログラム(SANE= Sustainable Agriculture Networking and Extension)は、キューバにおいて発展したプログラムで、参加型のエコロジー技術普及を支援するため、「モデルアグロエコロジー農場」を用いている(Garc´ıa, 2002; Funes, 2002)。オクスファム(Oxfam)、世界のためのパン(Bread for the World)、国際有機農業運動連盟(IFOAM)、国連食料農業機関(FAO)他の国際機関も、キューバで有機農業を推進するため、SANE他のプログラムで援助している(Sinclair and Thompson, 2001; Funes, 2002; Nieto and Delgado, 2002; Perera, 2002)。こうした国際支援は、有機認証プログラム、教育・普及、伝統的エコロジー知識の回復、能力構築用の資金を獲得する手段となっている(Nieto and Delgado, 2002)。 国際NGOは、キューバが他の南側諸国を援助する際にも役割を果たした。例えば、北側と南々協力の一例に、ベルギーのNGOがある。それは、キューバによるウルグアイの有機農業開発協力プロジェクトに資金提供している(´Alvarez, 2002)。このように、キューバが有機農業で成功した重要な要素として、国内外の数多くの団体のコラボレーションがあるのである(Nieto and Delgado, 2002; ´Alvarez, 2002)。
グローバル化しても有機農業政策は続くのか
キューバの有機農業への転換は数多くの点で大成功をおさめたとはいえ、その転換は容易ではなく、いくつかの課題にも直面している。最大の課題は、有機農業には、慣行農業のような即効性がなく、成果を発揮するまでにはかなりの時間や労力投資が必要なことだ。有機農業に転換した農民たちは、土壌構造や地力が改善されるまで待たねばならず、過渡期には極めて困難な状況におかれる(Rosset and Medea, 1994)。転換した当初は、収量が落ちるかもしれず、実際、UBPCでは生産が低下した。これは農場の規模が大きく、以前の国営農場の労働者に農業の専門技術が不足していたこともある(Rosset, 1997; Deere et al., 1998)。一方、個人農家や協働組合の農民たちは、転換では苦労したものの、一般に収益があがっており(Deere et al., 1998)、その生産水準が経済危機以前のそれを超えた事例すらあると指摘されている(Rosset, 1997)。
有機農業の将来に影響する別の課題は、多くの農民たちが、信念からではなく、必要に迫られて有機農法を用いていることである(Funes, 2002: 24)。この課題は、十分に注意を払われていないが、「将来的にキューバが世界経済に開かれれば、持続可能な農業が長期的に生き残ることは極めて困難である」とし、キューバの生産者や消費者、政策立案者が、有機農業にどうコミットメントしているのかを調査すること事態、ほとんど価値を持たないと論じている者もいる(McKibben, 2005:66)。 キューバの有機農業の転換をついてふれた数多くの文献は、キューバ経済が成長し、経済危機から抜け出せば、キューバ農業は、20世紀のほとんどを特徴づけた慣行型の工業的農業に戻る、と示唆している(Chaplowe, 1998; Altieri et al., 1999; McKibben, 2005)。とはいえ、本当にキューバ人たちが有機農業にコミットしており、慣行農業からの転換で恩恵を受けたと感じていれば、大規模に有機農業を続ける見込みもある。 とはいえ、たとえキューバ人たちが、有機農業を維持したいと決意したとしても、将来的に国際市場経済にキューバが統合されれば、数多くの問題に直面することにもなろう。
McKibben(2005)は、メキシコで北米自由貿易協定(NAFTA= North American Free Trade Agreement)が結ばれてから、大量の補助金を支給され、大規模な工業的農場で生産された、廉価な米国産トウモロコシが、メキシコ市場でいかに溢れたかを説明している。このため、小規模なメキシコのトウモロコシ農家は、大規模アグリビジネスに農地を売却することを強いられたのである。メキシコに米国から輸入されるトウモロコシと競争する機会があったとしても、それは、メキシコの環境を破壊する農業となろう。
キューバも少量ではあるがすでに米国から食料を輸入している。 「フィデル・カストロ以降のキューバでは、現在の輸入の細流は、メキシコ、や地球上の他のあらゆる国のように急流となり、国内における数多くの農業の実験を掃き捨ててしまうであろう」(McKibben, 2005: 67)。 フィデル・カストロ自身は、キューバが「IMFの会員ではない特権的な地位おかげで、ユニークな政策イニシアチブを追求できた」と示唆している(Castro, 2000)。カストロは農業政策については特にふれてはいないが、キューバが現在のグローバル経済により完全に統合されれば、例えば、IMF等の会員となることで、McKibben(2005)が論じたように、全世界でオルタナティブ農業の普及を阻害している圧力に確実に直面することとなろう。
【引用文献】
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