はじめに
有機農業に、どのような意味があるのか。有機農業が特定の文脈内でいかに行われているのかについては、さらなる事例調査が必要だ。この論文の第一目的は、これに対応しようとしたものだ。そして、この事例研究のためにキューバを用いた。現在の有機農業問題をめぐる議論では、南側からの声が著しく欠けていること、そして、キューバが持続的農業の世界的なリーダーとして認められているためだ。 この研究は、「政治的エコロジー」の見解に沿っている。その見解とは、全世界の食料や繊維生産のほとんどは慣行農業となっているが、このパラダイムは、環境、社会、経済的に見て長期的には持続可能ではなく、オルタナティブな生産システムが推進されるべきだという想定だ。キューバは持続可能な農業開発においてかなりの前進を成し遂げている。とはいえ、これをさらに支援、維持、促進していくにはどうするか。そして、キューバの経験からそれ以外の国がいかに学べるかにをまとめておこう。
キューバの生産者たちはアグロエコロジーへの意識が低い
第一の調査目的は、農業の転換や持続性において、キューバの生産者の意識を探ることだった。
・キューバの生産者が有機農業技術を実践している範囲、有機農業や持続可能を定義する範囲を評価する
・慣行以外の生産方法を用いることについて、生産者のモチベーションがどのようなものかを探る
・オルタナティブな農法の実践へのコミットメントの度合いを決める
この調査結果は、キューバの生産者の位置づけをいささかあいまいなものとした。調査に参加した生産者たちのほとんどは、複合栽培、輪作、混作、家族労働力の使用、ある程度の自給生産、地場産の投入資材原料や地元での販売の重視、農場内のリサイクルを最大化することで農場外からの投入資材を最小化することを重視し、ただ投入資材を代用するだけの以上に、有機農業と関連する様々な技術に取組んでいた。多くの場合、慣行技術、農業化学資材の適用は、ほとんど無視しうるほど少なかった。農場規模は比較的小規模で、ほとんどの農場はCCSは家族により、CPAはコミュニティに基づき運営されていた。つまり、調査に参加したキューバの生産者たちは、ある意味で、ホリスティックな有機農業生産モデルを追求していると認められ、そのアプローチは、有機農業の理想と呼びうるものであった。
ところが、ほとんどの生産者は、自分たちの持続可能な農法を定義することに躊躇し、とりわけ、自分たちが有機農家として見られることに快さを感じた者はごく少数だった。多くの生産者は、化学肥料でなく堆肥を用い、化学農薬ではなく輪作や間作を行い、トラクタではなく雄牛等を用いる低投入型の農法を低開発のシンボルと認識していたのだ。生産者の中には、経済危機以前の農業を、多く点でカナダの生産方法に匹敵していたと指摘し、それを誇りにしていた。そして、経済危機以降の農業を停滞のシンボルとして見なす傾向があったのだ。 土壌の締め固めや環境汚染が減ることを含めて、現在の生産のメリットを認める生産者も何人かはいた。とはいえ、生産者の多くは、農業化学資材、機械、石油等の慣行的な生産投入資材をさらに使えるようになりたいと望み、これらのメリットをコメントし続けた。つまり、キューバの農業の経験が教訓になるとなぜカナダのような先進国からわざわざ研究者が興味を示すのか、多くの農民たちが理解できていないことがわかったのだ。キューバの農業転換が、それ以外の国にとり、持続可能な生産事例となるかもしれないこと、とりわけ、先進国の生産者にとりそうなるという概念は、多くの生産者にはとうてい信じられないことなのであった。 調査に参加した生産者たちのほとんどは、自分たちの持続可能な農業技術を定義できなかった。つまり、有機農業への理想に対して、イデオロギー面でコミットメントすることは少なく、経済や政治的現実の結果として、慣行農法を避ける動機づけがなされていたのだ。ほとんどの生産者は、有機農業を実践するにあたり、意識的な選択をしておらず、むしろ、農業部門での経済的縮小や国の統制によって、かなり制約を受けていると感じていた。農業化学資材を使用しない動機づけとなっているのは、こうした制約だ。なぜなら、こうした投入資材は国家によって厳密に統制されていたからだ。たとえ、農業化学資材を購入・適用する経済手段を生産者に手にしていたとしても、現実的には法的手段をもって、そうすることは不可能なのであった。慣行的生産用の投入資材、とりわけ、農業化学資材は闇市場でもいくらか手に入ったが、量は限られ、値段も高く、使うにはリスクもあった。結果として、ほとんどの生産者は、違法な手段で得られる慣行投入資材にほとんど依存していなかったのである。
要するに、調査に参加したほとんどの生産者は、有機農業と関連する様々な生産技術に取組んではいた。とはいえ、環境、社会、経済な持続可能な食料生産のパラダイムとして、こうした技術や有機農業の概念に直接個人的にコミットしているわけではなかった。ほとんどの生産者は、自分たちの経済的な事情と国の規制から、その生産上の意思決定の多くを行っていたのである。このことから、調査に参加した農民たちの経済状況が向上したり、農業投入資材(農業化学資材、土地、機械、労働等)と農業生産の双方で市場を統治している現在の国家規制が変化すれば、生産者たちが今のアグロエコロジー農業を長期的に全面的に維持すると信じられる理由はほとんどない。
要するに、アグロエコロジーが正しい食料生産の方法だとの強い信念をもって、真の有機農業を実施している生産者は、都市生産者には見られたし、独立したCCS農場よりもCPAで強い傾向があったが、ごく少数なのだ。しかも、多くの生産者たちは、農業化学資材や非再生可能エネルギー等の慣行農法を意識的に避けようと心がけてはいなかった。現行制度を考えれば、この希望を達成することはとうてい不可能だが、数は少ないものの、大規模、高投入、モノカルチャー農場といった慣行生産への野心も示すものもいた。つまり、生産者のメンタリティーが転換するには、かなりの時を要するであろう。
国家の第一目的は生産増大で、その手段としてアグロエコロジーを用いている
四番目の研究目的は、生産者以外の農業部門が、慣行生産からのシフトにどう関与したかだ。
・これら主体の動機と、キューバにおける慣行生産から転換での政府やNGOの役割を特定する
この調査結果からは、キューバでの慣行生産からのシフトがこうした主体によってリードされたことがわかった。キューバ政府、研究所、大学、農学校、そして、ANAPやACTAF等のNGOは、アグロエコロジー技術と関連する政策措置、研究・開発や普及を通じて、生産者の慣行生産からのシフトを支援し、活発にアグロエコロジーを推進していた。 こうした組織は、IFOAM、FAO、そして様々なNGOや国際機関からかなりの支援を受けていた。そして、キューバの組織は、バイオ肥料等のオルタナティブな投入資材の提供やアグロエコロジーに関する知識と専門的技術の伝達を通じ、南側の他の諸国がアグロエコロジーな農業方法を採用することを援助しようともしていた。
さて、表面的には、国家は、イデオロギー的に持続可能な食料や繊維生産システムを構築する必要性を抱いている。とはいえ、外為獲得のために慣行農法での製糖業を続けていることからして、その政策は、持続的農業に深くコミットしているというよりは、経済危機を避け、食料安全保障を確保することに基づいているであろう。とはいえ、政府内には、持続可能なオルタナティブ農業に情熱的にコミットするものがいて、これまでの転換の成功から、キューバが正しい方向に進んでいると数多くの政策関係者が納得していることには疑問の余地はない。さらに、アグロエコロジー生産へのシフトは、多国籍企業や農産物の国際市場へのキューバの依存を減らす一助ともなり、結果として、キューバがその国家主権やグローバル的にもユニークな社会主義システムを維持することを助けている。このため、今後、かなり経済的な進展があったとしても、キューバ政府がアグロエコロジー生産を支援し続けるインセンティブは少なくともあろう。
NGOも純粋な有機農業にはこだわっていない
アグロエコロジー運動へのNGOの動機では、慣行農業からの転換を支援するにあたって、プラグマティズムと理想主義とが混ざっていることが、この研究から明らかになった。生産者以外からは、アグロエコロジー生産の環境、社会、経済的メリットに対して、ある程度個人的な信念が寄せられた。とはいえ、ほとんどの者は、同時に現実的なアプローチも取っていた。キューバのようにグローバル経済から隔離され経済的に苦闘している国においては、十分な生産水準の維持が、農業部門の第一の関心であることを認めた。このため、有機農業については数多くの者が、言及したものの、食料生産を成功させる一要素としてのみ、有機農業技術をみなしていた。加えて、ほとんどの者は、同時に慎重さは要するものの、慣行の生産投入資材や輸出志向農業、そして、さらにはGMO等の概念もフードシステムに組み込めると感じていた。全体的に強調されたのは、純粋な有機農業パラダイムを厳格に固守するというよりは、バランス、中道、均衡を求めることであった。
キューバの社会主義システムはアグロエコロジー発展に役立った
最後の研究の目的は、次だ。
・オルタナティブな食料生産システムの発展をファシリテートするか、抑制するファクターを決定する
キューバにおいて、全国段階でのアグロエコロジーの発展に寄与した主因のひとつは、明らかに経済的必要性だ。とはいえ、キューバ以外の多くの開発途上国も、経済的資源は不足している。資源不足に直面する中、なぜ、キューバだけがユニークな農業ビジョンを行おうとし、かつ、それを追求できたのかの疑問が高まる。 ひとつの重要なファクターは、キューバの優れた教育制度によって産み出された人的資源の豊かさだ。研究開発の努力と、生産者たちの高い教育水準があいまって、アグロエコロジーが普及できたのだ。 ANAPやACTAF等のNGOも数多くの農民たちを動員し、アグロエコロジーを普及したが、農村部でのインフラが比較的良好で、かつ、生産者組織がよく組織されていたことがこのスムーズな転換につながった。
アグロエコロジーを導入したことは、キューバ社会主義の政治経済体制にも寄与した。慣行農業を推進する強大な農薬企業の影響からキューバが自由となり、消費によって突き動かされる高投入型農業ではなく、アグロエコロジーのやり方と合致する「節約の文化」を作り出す一助となり、全国レベルで持続的農業を優先させ、教育制度他の国家官僚機構に、公正、かつ、容易に確実に組み入れられたからだ。
キューバの中央集権化された社会主義体制は、慣行農業からの転換を推進するために機能している。とはいえ、トップダウンでの国の関与は、アグロエコロジー運動を抑制するものとしても機能する。生産者たちが上から科されたものと認識し、その開発に抵抗するからだ。農業省やANAP等の組織は、その指令に参加型の原則を組み入れる努力をしてはいる。とはいえ、最も重要な農業指令は、平均的な生産者の手の外で決定されるに留まり、結果として、新たな方法に対して生産者たちが熱狂的な所有感を覚え、こうした方法にコミットしていくことを脅かす。
キューバにおいてアグロエコロジー普及のもうひとつの主な抑制要因となっているのは、資源不足だ。アグロエコロジーの発展に拍車をかけた、まさにその要素が、その成功の制約要因としても機能しているのは皮肉なことだ。バイオ防除資材や有機肥料等のオルタナティブの投入資材の生産・研究、開発、普及の資金不足が持続可能な農業発展の前進の可能性を制約していることは明らかだ。さらに皮肉なことは、米国の経済封鎖が同時にキューバに経済的な必要性を強い、農業化学資材だけでなく、多国籍アグリビジネスによる慣行生産された廉価な輸入農産物を不十分にしていることで、アグロエコロジーを進展させていること。同時に、資本資源へのアクセスを制約することで、制約要因としても機能していることだ。
グローバル化からの孤立で、キューバはアグロエコロジーを推進できた
さて、この研究は政治的エコロジーの理論上の枠組みの中に位置づけられている。そこで、マクロ・レベルでの政治、経済的な力が、マイクロ・レベルでのキューバの農場の決定にいかに影響しているかにも注意が向けられた。 このパースペクティブをレンズとして用いれば、グローバル経済からキューバが政治・経済的に孤立していることが、アグロエコロジーへのシフトでは極めて重要なファクターであることわかる。 全世界のほとんどの国は、多国籍企業やWTOや構造調整プログラムによって新自由主義貿易を科され、農業も大きく影響され、工業的投入資材を大量に用い、農地が整備され、輸出指向生産が奨励されることとなっている。だが、キューバは、グローバルな資本主義的政治経済から孤立したまま残ることを選択している。このため、こうしたプレッシャーの影響は、たとえ排除されないとしても、ミュートされている。このため、キューバ政府は、アグロエコロジーに対して公的支援政策を講じたり、ローカルな食料ネットワークと食料主権の重視といった独立した農業政策を追求するうえで、比較的自由だったのだ。さらに、ソ連圏崩壊に引き続く経済危機の劇的な性格が、グローバルな農産物市場への依存から離れ、国家で食料自給を追求するキューバの決意を強化することに役立った。
このように、キューバはグローバルな政治経済からかなり距離をおき、全国レベルでアグロエコロジーが必要なことから、これを推進している。とはいえ、キューバの農民たち自身は、さほど直接的にグローバル化の影響を受けていない。世界の多くの地域の農民たちは、多国籍アグリビジネスやグローバルな農産物市場、そして、新自由主義貿易政策から直接的な影響を受けているが、キューバでは、そのかわりに国家がグローバルな政治経済的なパワーを持ち、農場での意思決定者として機能している。このため、生産方法の決定で、最も直接農民たちに影響しているのは国家なのだ。
このことから、環境ガバナンスにおいては、世界の多くの地域で国家の役割が減る傾向があるにもかかわらず、キューバの事例は、グローバルな資本主義の政治経済的制約から解放されたとき、国家がいかに強力な力となれるかを明らかに示しているのだ。
【引用文献】
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