石油枯渇によって、現在の自由貿易社会が崩壊するというトンデモ説を提唱している学者がいる。オックスフォード大学で政治学を教えるヨーグ・フリードリッヒ教授だ。トンデモ説であるだけに、教授のグローバルなエネルギー危機に対する研究は、エネルギー政策(Energy Policy)の8月号に掲載されるまで、12回も掲載を却下されたという(2)。このトンデモ説の要旨を紹介してみよう。
エネルギー・シフトで自由貿易社会は崩壊する
産業社会を支えているのは石油だ(2)。石器時代は「石」という資源が不足することはなかった。「石炭」の不足によって石炭時代が終わることもなかった。だが、石油時代は石油という不足で終焉するのではあるまいか(1)。 2008年にすでに世界の石油生産はピークに達した、と言う悲観論者もいれば、2030年までピーク・オイルが到来することはないと言う楽天主義者もいる。とはいえ、いずれにせよ、メキシコ、ノルウェー、インドネシア、オーストラリア等、世界の大産油国65カ国のうち、54カ国はすでにその生産がピークを過ぎ、衰退しつつある。1970年以来、米国の48州でも生産は衰退している。廉価な石油が利用できなくなり、その供給が急減し始めるとすれば、何が起こるのであろうか。オックスフォード大学で政治学を教えるヨーグ・フリードリッヒ教授は、こう語る。
「私は、もし、ピーク・オイルになればいったい何が起きるかを研究しています。私は社会科学者ですから、ピーク・オイルがいつになるかは私は問いかけません。それは、地質学者、技術者、あるいはエコノミストの問題だからです。すでにピークに達した。あるいは、ピークは10年間後だと様々な意見がありますが、この議論に加わるかわりに、『もしそうなったらどうなるか』を問いかけたいのです。それが社会科学の研究課題だと思います」(2)。
教授は、ピーク・オイル以降に世界の石油生産量が毎年2~5%落ちていく、と想定する。こうした状況は、まだ世界は経験していない。だが、国家レベルでは20%も石油供給が遮断された事例が過去にある。70年代の石油ショックの時でさえ、それは7%にすぎなかったのだから、どれほど衝撃が大きかったかがわかるだろう(1)。
米国の経済封鎖によって大東亜戦争は本格化した
まず、教授が最初にとりあげるケースは、大日本帝国だ。第一次世界大戦以降、日本は、将来的な資源不足という亡霊に脅やかされていた。第一次世界大戦でドイツが敗北したのは、戦時下で自給体制を確立するために欠かせない海外市場や産業基盤を確保できなかったためだった。
「原材料を遮断された国家は軍事的に不利になる」
それが、日本が学んだ教訓だった。大日本帝国は、資源に乏しい。この日本が総力戦を耐え抜くには、戦略資源の確保が欠かせない。大東亜自給経済圏のみが、日本を支えうる。大日本帝国は、この資源戦略に基づき、満州(1931)、中国(1937)と侵攻していく。その最終目標は自給経済圏の確立で、1940年には「大東亜共栄圏宣言」がなされる。
だが、軍事的に見れば、まだ目標は達成されていなかった。満州他は食料、石炭、鉄鉱石をもたらしたが、肝心の石油はほとんど確保できなかったのである。軍事輸送には石油は欠くことができない資源である。しかも、当時の米国は大産油国で、大日本帝国は米国産石油に大きく依存していた。石油の90%は輸入され、うち75~80%がカリフォルニア産のものであり、ガソリンの依存度はさらに高かった。しかも、1930年代後半になると米国は単なるジェスチャーではなく、徐々に日本に対し本格的な経済封鎖を実施し始める。米国産から石油を輸入しないためには、英領ボルネオやスマトラから石油を奪えばいい。米国の経済封鎖に対抗するには、南進戦略は、とりわけ、海軍には魅力的だった。燃料枯渇と完全な経済封鎖を予想し、日本軍は1939年に南中国へ侵攻し、1940年にはフランス領インドシナの北部地域を占領する。
そして、1941年7月に米国から完全な経済封鎖を受けると、大日本帝国政府は、オランダ領東インドの豊富な鉱物資源、とりわけ、石油を確保する以外の選択枝が皆無だと最終判断する。そして、真珠湾に配置された米国太平洋艦隊を先制攻撃した。
「石油を見れば、米国の経済封鎖に脅えていた日本が、なぜ太平洋での総力戦に陥ったのかがわかる」 と教授は言う。1930年代から大日本帝国は、地域経済圏をなんとか構築しようと試みていたが、米国の経済封鎖がこれをさらに急進化させたのだ。だが、結果は、資源の枯渇だった。大日本帝国は、全国の山々で松の根を掘り出し、燃料とした。教授は、神風特攻隊が実施された理由の一部は、出撃しても帰還して再び戦うためのガソリンがなかったからだと主張する(Yergin, 1991: 362–367)。そして、敗戦後の1945年9月にはエネルギーは完全に枯渇していた。自殺未遂を図った東條首相を病院に輸送する救急車の燃料すら見つけることが困難なほどだった(1)。教授は言う。
「日本の場合は自暴自棄でした。自分たちの政策がもたらす結果をほとんど発想すらできず、米国との自滅的な戦争を始める経費すら考えず、東インド諸島から石油を略奪する以外の選択枝を考えなかったのです」(2)
ソ連崩壊で全体主義的縮退を選んだ北朝鮮
教授が二番目に取り上げるのは、冷戦終焉後の北朝鮮である。1980年代までは、北朝鮮はチュチェ(juche)思想に基づき、炭鉱や水力に投資し、その莫大なエネルギー需要を満たしてきた。都市化が進む中、人々を養うため工業型農業にも力を注ぐ。潅漑や機械化、電化が進められ、化学資材も大量に使用された。1990年の北朝鮮の一人当たりのエネルギーの推定使用量は、中国よりも多く、日本の半分以上だった。だが、北朝鮮には石油がない。石油は政治的な忠誠と引き換えにソ連から輸入されていた。だが、ソ連崩壊によって、1991年にロシアは補助金付きの石油他の投入資材の輸出を停止する。2年後にはロシアからの輸出量は90%も減少する。北朝鮮は、中国がソ連のかわりとなってくれることを望んだが、中国は1993年にそれを拒否し、北朝鮮に輸出する条件として兌換通貨を求め「友情による穀類提供」を根本的に削減した。これが、劇的な結果を産む。
北朝鮮政権は、残された燃料を軍事用には確保したものの、それ以外の産業はほぼ崩壊し、農業生産も自給レベルで苦しむこととなる。1991年には早くも「一日に二食デー」のキャンペーンが打ち出され、1994年には金日成から金正日へ指導が委ねられたとはいえ、深刻な食料危機が不気味に迫っていた。
1990年代前半は気象状況も良好で、ある程度の収穫が得られたが、その後の洪水と旱魃が1995~1998年の飢餓につながる。北朝鮮の農業機械は石油に依存していた。燃料がなければ、トラクタ他の機械も動かせない。肥料他の投入資材を農場に運び、都市消費者に農産物を輸送するにも燃料が欠かせない。鉱山から石炭を肥料工場まで搬送するにも燃料が必要だった。北朝鮮では、エネルギー源や化学肥料生産で石炭が用いられていたため、1989~1998年で肥料は80%以上も低下する。発電所に石炭を輸送するにも燃料が必要で、電力も問題となった。十分な電力がなければ、潅漑ポンプや電車も動かない。これがさらに交通に影響し、列車に頼れず、肥料工場や発電所に石炭を持ち込み、化学肥料を農場に輸送し、都市消費者に農産物を届けることはさらに困難となった。食料不足や生産インフラの一般的な衰退にあいまって、このエネルギー不足が絶望的な状況を産み出した。全経済が打撃を受けたが、中でも農業は最悪で、食料生産は急落し、農地のかなり失われ、地力も減退した。地力回復には大量の石灰が必要だったが、燃料なくしてはそれも運べない。破れかぶれで農業機械を雄牛で代替えすることも試みられ、牛はゆっくりとだが増えた。とはいえ、トラクタとは違って、牛は人間と食料で競合する。また、このエネルギー危機によって、貧しい多くの人々は、料理や加熱でバイオマスに頼ることも強いられた。だが、化石燃料とは違って、バイオマスを燃料に使うことは、地力を低下させ、それが、農業の危機をさらに悪化させていく。こうした悪循環があいまって、1991~1998年にかけ、米やトウモロコシ生産は約50%も低下し、北朝鮮は、国際食糧援助を求めることを強いられた。1995~98年には、深刻な飢餓で国民の3~5%、約60万~100万人の餓えにつながった。
最悪の飢餓は1990年代後半には止まったが、工業型の北朝鮮農業は、エネルギーなくしては復活できないため、現在でもさらなる飢餓のリスクをかかえたまま、食料危機は続いている。この北朝鮮の飢餓は、石油等の主要資源の不足がどれほど深刻な反動を産むかのパラダイムの事例と言える。北朝鮮の大飢餓がスターリン主義の政権の失敗のためであったことも、ある程度は事実だ。
だが、教授は、平壌の対応は、あくまでも、自由民主主義の基準でから見た場合にのみ失敗と言えるのであって、北朝鮮政権の立場にすれば、信じられないほど成功した、と述べる。経済危機で北朝鮮のエリートたちが推進したのは、政治経済的な開放を避ける代わりに、スターリン型の産業主義を捨て、物資の枯渇を全人民に押しつけることだった。消極的な政策で、何十万人もの北朝鮮人が餓死に直面したが、エリート特権階級を温存することがこれで可能となった。 ほとんどの共産主義政権が消滅する中、いまも朝鮮民主主義人民共和国は存続し、核兵器保有国にさえなり、時には国際的譲歩を引き出すことも可能となっている。こうした瀬戸際政策の道徳性はさておき、北韓国型全体主義緊縮は、間違いなく深刻なエネルギー遮断への可能な回答、ピーク・オイルのシナリオで起こりうる別の反応を明らかにしてくれているのだ(1)。
社会主義的優雅な没落を選択したキューバ
教授が取りあげる三番目の事例は、キューバの社会主義経済型適応だ。1990年代にはキューバも北朝鮮と同じくエネルギーの供給遮断を経験したが、キューバのそれはより深刻で、ソ連圏からの補助金付のエネルギー供給は100%止まったし、CIAによれば、1989~1993年で燃料輸入が71%と衰退したと評価している。米国エネルギー情報局(US Energy Information Administration)の最も控え目な見積りでさえ、キューバの石油や電力消費は1989~1992年で20%も下がったのだ。フィデル・カストロは1990年に「スペシャル・ピリオド」国家非常事態を宣言する。燃料やスペアパーツ不足で、機械は遊休化し、公共や民間交通も麻痺し、労働者は失業し、全国の工場も家庭も予測できない停電にさらされ、キューバ経済は事実上破綻する。
北朝鮮と同じく、キューバにおいても最も深刻な状況となったのは食料問題だった。平均的なキューバ人たちの栄養摂取量、とりわけ、タンパク質や脂肪摂取量は、基本要求水準以下まで落ち込む。牛肉の代わりにグレープフルーツの皮を細かく刻み、アパートで鶏肉を育てたり、バルコニーで家畜を飼育する人も出てくる。ソ連からの補助金付きの物資配送も途絶する。だが、北朝鮮のような大規模な飢餓はキューバでは、なんら生じなかった。都会でも、ホームレスやストリートチルドレンが現れることはなく、暴力、犯罪、自暴自棄、希望喪失もキューバの地区生活にはなかった。信頼のおける北朝鮮からの亡命者たちのリポートによれば、1990年代の「隠者王国(Hermit Kingdom)」での生活は、孤独で、貧しく、不快で、残忍で、国民の3~5%が餓死したという。だが、キューバでは「スペシャル・ピリオド」の生活は困難ではあっとはいえ、その種の状況はなんら起きなかった。
「これは、どうみても北朝鮮とは対照的だ」と教授は述べる。
たしかに、温暖な気候や観光収入、海外からの送金、対外投資、国際援助もある程度は、危機に対処する助けにはなった。カストロ政権は北朝鮮の政権よりも人間味があり、試行錯誤をへたうえで、慎重な改革を実施し、国を観光のために開き、インフォーマル部門を合法化し、様々なローカルな自助支援が奨励された。
「だが、本当の奇跡はキューバ人々たちによってなされた」と教授は分析する。
キューバは非常に都市化が進んでいるが、典型的なバリオは都会の中の村、アーバン・ビレッジなのだ。各家庭は地区生活の中にしっかりと埋め込まれ、ほとんどが数世代の同居家族で、典型的な家庭には、おば、おじ、いとこも含まれ、バリオ内外の友人や親類との関係も緊密だ。調査によれば、ハバナの脆弱な地区の86%の人々が親戚、97%が友人、そして、89%が地区からの支援に頼っていると言う。キューバ社会はコミュニティレベルでの団結が目覚ましい。ほとんどのキューバ人たちは、家族、友人、隣人に頼ることができ、このローカル・レベルでの連帯感、ソーシャル・キャピタルが、スペシャル・ピリオドへの対応の一助となった。「お互いが助け合わなければならず、危機は人々を団結させたのです」ある地区の住民は語る。
また、人々を養ううえでは、伝統知識も決定的だった。農地のほとんどは1959年の革命後に集産化されたが、約4%のキューバの農民たちは自分たちの土地を保ち、11%は民間協同組合として組織化されていた。こうした独立農家は、国営農場よりも少ない燃料や農業化学資材の投入で運営され、危機への弾力性があった。家族農家は、貴重な伝統知識を保存しており、この知識が回復され、国営農場や都市農業での自給に貴重なノウハウを提供したのだった。地域自助努力の支援運動、有機農法、そして、キューバ在来の伝統知識を組み合わせることで、都市農業が促進されていく。家屋に近接した空き地や遊休地を人々は菜園に転換し、都市内のコンクリートブロックや都市周辺の遊休地が有機菜園へと変わった。野菜他の食料を生産するため人々は都市を耕し始め、1990年代半ばには、ハバナだけで何百個もの園芸クラブが設立された。あるハバナの都市生産者は、インタビューでこう答えている。
「スペシャル・ピリオドが始まると、自分たちで園芸クラブを組織しました。活動に家族全員がかかわることが強調されました。私どもは、相互扶助を発展させたいと願い、種子や品種、そして、経験をわかちあいました。相互扶助、連帯の精神を達成し、農業生産について学んだのです」
エコロジストたちは、スペシャル・ピリオドによるキューバ農業の転換を「有機農業の社会的実験、オルタナティブ・モデルとして絶賛している。だが、実際のところ、キューバの低投入型農業への転換は、エコロジー意識の高まりによってではなく、必要性によって突き動かされていた。1990年代後半に経済状況が改善され、化学投入資材が広く利用できるようになると、キューバは工業型農業へと後戻り始める。革命後にカストロ政権は私産財産を凍結し、人々は狭い空間に閉じ込められた。そして、政権は政治的統制を強化するよりも、社会的なつながりを創り出すため、コミュニティ開発にかなりの投資をしてきた。かくして、庶民は何とか暮らしてきた。
「これは理想化すべきでことではない」と教授は何度も繰り返す。
とはいえ、キューバ人たちが、1990年代初期から半ばにかけ、コミュニティの意識によって、悲惨な資源供給のショックをなんとか緩和したことは重要だし、北朝鮮と比較すれば、これがささやかな成果ではないことがわかる。
エネルギー遮断に対して、社会がどう対応するのか、3パターンを見てきた。ピーク・オイルは国家の危機というよりも、全世界的なエネルギー危機として経験されるはずである。とはいえ、全世界でも同じような対応が起こるのではあるまいか。例えば、軍事的な解決手段を取りがちな国は、かつての日本のような軍国主義の戦略に従うだろうし、権威主義的な伝統のある国は、北朝鮮の全体主義型緊縮への道を歩もう。そして、コミュニティがしっかりした国は、ピーク・オイルの影響緩和をその人々に依存して、キューバ型の社会経済型適合に着手するであろう。ポピュリスト政権によって、ナショナリズムの感情があおられることももちろん想像できる(1)。
ヨーロッパに取ってかわり発展する産油国
教授は、ピーク・オイル以降の世界の再編成について次のように述べている。
「エネルギー資源を確保する軍事力を基準とすれば米国です。とはいえ、平和な適合力ならば、さほど人口過剰でない開発途上国です。政治的な安定を基準とすれば、回復可能な権威主義的伝統のある国が自由民主主義国よりもよく機能しましょう。燦々たる評価に聞こえるかもしれませんが、国家全体がバラバラに解体する危機の時代には、安定性が高く評価されましょう。それは、北朝鮮と同じほど悪い必要はありませんし、プーチンのロシア等の「権威主義的民主主義」が考えられましょう。ブラジルやイラン等の石油輸出国も勝者になります。とはいえ、軍事的略奪、あるいは悪名高き「資源の呪い(resource curse)」の犠牲となるかもしれません」(2)
教授は、産油国は、国内の石油消費に補助金を支給し、その経済力を強めながら、石油輸出からの増収を使用し、そのパワーや富を高めるであろうと述べる。ナイジェリア、アンゴラ、モザンビーク等の産油国では、エリートたちは、高値を付ける人々に石油を販売し続けよう。こうした産油国の市民がどれほど収入の利益を得るかはわからない。中央アジアや中東の石油産出国は、過去よりも優位となり利益を獲得し、石油価格の値上がりで、その経済は相対的にも絶対的にも成長し続けよう。結果として、こうした国の石油消費量は、他国が減退する中でも、安定し、あるいは増えさえもしよう。エリートの不正は残るだろうが、工業化や生活水準の向上と並んでそれ以外の政治的自由は改善されよう。中東はイスラム教徒の移民にとって最も魅力的な目的地として、ほぼ確実に西欧に取って代わるであろう(1)。
「エクソンやシェル等の大規模な民間の西洋企業も、王国の国営石油会社サウジアラムコ(Saudi Aramco)やナイジェリアの国営石油公社NNPC等の産油国の公社に負けましょう。結果として、石油輸入国さえ、ますます国家が統制する企業に依存することとなりましょう。例えば、これは、すでに中国石油天然気集団公司(China National Petroleum Corporation)で既に起きていることなのです」(1,2)
軍事を優先する米国と中国
だが、教授は、産油国がより有利な立場に立てるのは、20世紀に数多くの発展途上国を苦しめた「資源の呪い」を回避でき、かつ、軍国主義の犠牲とならない場合に限られる、と条件を付ける。
米国は、その無敵の軍事力を背景に海外の石油に極端に依存するであろう。米国は自由貿易のイデオロギーが都合がよい限りは、石油でも自由市場を支持し続けよう。たとえ、原油市場が供給停滞をはじめても、しばらくは自由貿易を提唱し続けるであろう。だが、価格急騰で国家経済が打撃を受け始めれば、直ちに、自由貿易よりも強力外交の方が効果的であることに気づく。米国は、外国を非難し、米国型ライフスタイルを守るため「エネルギー安全保障」の地政学戦略を追求するであろう。
チャベスのように取り扱うことがやっかいなリーダーに対しても、いきなり軍事的な力をふるおうとはせず、交渉をし続けるのは、イラク戦争からわかるように、軍事的な選択がたやすくないからだ。とはいえ、原油供給が少なくなれば、軍事が自由市場よりも優先されよう。つまり、かつての大日本帝国のような軍国主義的戦略の道を歩む一番の候補は、その軍事力からして、米国であろう。石油を特権的に確保するため、米国はその無敵の軍事力を使う誘惑にひかれる。それは、時に過去に起きたことだし、将来にも何度も起ころう。
ロシアは自国をまかなうだけの豊かなエネルギー資源を持ち、その影響力が大きくなるが、原油価格が高騰することで、ベネズエラやエクアドル等の中規模の産油国が荒稼ぎを試みるであろう。だが、こうした瀬戸際外交で米国に逆らえば、たちどころにその政権は転覆されることになる。このことは南米での反米感情をさらに高めることになろうが、オポチュニストのエリートたちは、結局は、米国の強硬戦略を黙認するであろう。過去にも、ラテンアメリカのエリートたちは、米国の便宜主義と馴れ合ってきたからだ。
最終的には、その広大な国土と資源の豊かさと米国からの地理的距離のおかげで、米国からの介入から逃げ切れるのはブラジルだけかもしれない。ブラジルが近隣国に対して十分な利益を提供すれば、周辺諸国との複合化も可能となろう。だがさもなければ、エネルギーに貧しいラテンアメリカ諸国は深刻な危機に陥ろう。その時は、キューバ式の社会経済型適合がそれ以外の国でもいかに可能であろうかがわかろう。
中国は輸出に依存し、国際自由貿易の終焉に対し、自らを閉鎖できるほど富を蓄積していない。その軍事力も米国には匹敵しない。とはいえ、中央アジアの石油や天然ガスを確保するため、軍事力を使える(1)。
「外国産の石油の確保が軍事的にたやすくないことから、中国は米国よりも破れかぶれとなりましょう。ですが、中国海軍や空軍は米国のそれに匹敵しません。中国軍はアンゴラはもちろん、マラッカ海峡までの航路さえほとんど支配できていません。とはいえ、中央アジアでは略奪軍事作戦を始めるよう魅かれるかもしれません」(2)
北朝鮮型の緊縮やキューバ型没落を目指す開発途上国
北朝鮮型の全体主義緊縮という解決策では、エリートだけが特権的に保護される。それは、強力な権威主義的伝統がある国ではありえよう(1)。
「皮肉なことですが、深刻な石油途絶に北朝鮮政権はうまく対処できました。ソ連が海外の仲間たちへの補助金付の石油供給をストップしたとき、何十万人もの庶民が飢えましたが、北朝鮮のエリートたちの特権は維持されたのです。想像するだに恐ろしいことですが、北朝鮮の事例に多くの国が従うかもしれません。こうした独裁政権を打倒する大衆運動も起こるでしょうし、その独裁政権は北朝鮮型の戦略を試みるでしょうが、失敗して国家破綻に陥ることが最もありえそうです」(2)
状況はさほど工業化が進んでいない国や地域やより権威主義的な伝統があるところでは異なる。前述した軍国主義化や全体主義化と比べれば、キューバ型の社会経済型適合は、道徳的な観点からみて格段に望ましい。教授は言う(1)。
「キューバの経験は、北朝鮮で起きたことに対して、興味深いコントラストとなっています。同様の危機に直面し、かなり困難な時期があったにもかかわらず、大規模な飢餓はありませんでした。北朝鮮とは違って、キューバ社会が、数多くの社会的なつながりや伝統知識を保全してきたことでこれは可能となりました。このケースは先進国よりも開発途上国の方が、よりありえましょう。残念なことに、数多くの開発途上国は絶望的なまでに人口が過剰ですが、社会的なつながりがあり、持続可能なライフスタイルを回復できるところでは、人々はローカルレベルで混乱状態への道を見出すことでしょう」(2)
低開発途上国の一般の庶民は、産業型のライフスタイルがまだ限られている。そこで、生存のために社会グループの団結に依存することを強いられよう。多くの開発途上国では、ローカルレベルで、コミュニティに根ざした価値観とサブシステンスのライフスタイルに回帰することで、ピーク・オイルの影響を緩和できるかもしれない。とはいえ、多くの開発途上地域は、人口増加の圧力も高く、飢餓や病気、闘争に見舞われよう。 例えば、石油やガスを生産しないアフリカ諸国の人々はさらに苦しむことであろう。とりわけ、サブサハラのアフリカでは、希少資源を巡り、国の失敗と闘争が高まろう。石油ベースの「緑の革命」や国際援助が終焉することで、環境破壊や社会も不安定化しよう。バイオマスが可燃物として奪われ、土壌は劣化しよう。バイオ燃料生産は、裕福な階層のエネルギー事情は緩和するであろうが、食料生産が低下し、結果として、貧しい人々の苦況は悪化し、ほとんどの場所では、飢饉、病気、大規模な難民が避けられまい。とはいえ、ある場所では、コミュニティに根ざす価値観の復活や自給型ライフスタイルへの回帰が影響をいくらか緩和するかもしれない(1)。
没落を拒否し、以前の価値観を捨てられず混乱するヨーロッパ
民主主義においては、全体主義的緊縮をイメージすることは困難だが、20世紀のヨーロッパ史は、民主主義さえ時には圧制に陥ることができることを示している。また、ドイツやフランスは軍備化も可能だ。だが、ヨーロッパ人たちには、歴史的に軍国主義を恐れる理由があり、軍国化の戦略に欠かせない社会的コンセンサスも得られず、軍事的選択は可能ではあるまい(1)。
「西ヨーロッパは、米国とは違って、資源の軍事的な奪い合いの競争者でもありませんし、朝鮮人たちのような全体主義的『解決策』も受け入れそうにはありません。ピーク・オイル以降のヨーロッパ人にとって最善の希望は、おそらくポピュリストの政権です。危機を切り抜けるため、国家的な連帯が動員されましょう。私はポピュリスト政権を好みませんが、民主主義社会が深刻な危機に突入すれば、それは典型的に出現するものなのです。幸いなことに、多少は希望の光があります。西ヨーロッパは、世界のどの地区よりも省エネや持続可能なエネルギーに投資してきました。また、他のほとんどの地区では使えない鉄道が最悪時の輸送代案となります。ヨーロッパには、大量のシェール・ガスのストックもあります。また、どんな場合であれ、ロシアと近東が石油やガスをヨーロッパに供給できます。とはいえ、残念なことに、こうした取引は非常に不安定で、再交渉になることさえあります」(2)
つまり、再生可能エネルギーへの投資や革新的な技術は、トランジションをいくらか緩和することになろうが、結局は、ヨーロッパもも日本も生き残りのために、ローカル・コミュニティに依存することを強いられ、コミュニティに根ざす価値観や自給的ライフスタイルへのトランジションをほとんど避けることができない(1)。教授は言う。
「長期的には、ヨーロッパの人々も自給自足ベースのライフスタイルへの回帰を避けることはできますまい。とはいえ、大量消費にずっとさらされてきたことを考えればその過程で極めて困難な時間を過すこととなりましょう。社会的なつながりや持続可能なライフスタイルがほとんど過去のものとなっています。社会的なつながりや伝統的なライフスタイルはひとたび失われてしまうと、簡単には回復できません。西洋人たちは、何世代も個人主義や豊かさを経験した後ですから、コミュニティに依存して持続可能なライフスタイルに戻らなければならないことを受け入れるのに苦労するでしょう。65年間も大きな消費主義を経験してきた日本社会も同じ問題に直面しましょう」(2)
東欧や東南アジアのように個人主義、産業主義、大規模消費者主義がまだ深根くない社会では、過去への復帰は比較的簡単だ。だが、西欧や日本は、豊かな産業社会型のライフスタイルにひたりきって、コミュニティに基づく価値観や自給的なライフスタイルに回帰することをイメージできないほど個人主義、産業主義、そして、大規模な消費主義が長期にわたって続いている。したがって、全体主義的緊縮やキューバ式の社会経済的適合への道は難しく、ピーク・オイル以降は困難に陥り、それは非常に苦痛であって少なくとも数世代は続けることとなる、そう教授は結論づける(1)。
さあ、没落の準備をしよう
教授は、ソーラーや風力、あるいは原発等、石油から他資源へのスムーズなトランジションの可能性を否定する(2)。「技術楽観主義者」は、石油生産が不足しても、それは再生可能エネルギーや新世代の原子力エネルギーの転換のチャンスとなるとして、ピーク・オイル論に反対している。ソーラー・エネルギーや核融合等の技術革新で、最終的には石油が過剰になると見込む楽観主義者もいる。だが、教授は、石油に代わって産業社会を支えられるだけの適切な資源も技術もないと考える。教授は、天然ガス、石炭、原子力、再生可能エネルギーについて次のような見解を示す。
天然ガス ピーク・オイルを緩和するうえで最も魅力的な資源は天然ガスだ。限りある資源とはいえ、石油よりは比較的豊富だ。最近は、頁岩ガス開発も奨励されている。とはいえ、豊富にあるとしても、技術やインフラがネックとなる。頁岩ガスの探査や開発には時間がかかるし、液体燃料として簡単に輸送できる石油と違って、パイプラインの敷設や液化も必要だ。また、世界の自動車は天然ガスではなく石油で走る。毎年2~5%と減っていく石油を天然ガスで代用することは困難であろう。
石炭 少なくとも、これから20年間は石炭が重要なエネルギー源となろう。石炭は、アジア、オーストラレーシア、米国にはまだかなりある。石油価格の高騰で困難とはなろうが、石炭に恵まれた国は、石炭を開発し続けよう。北極から南極大陸まで保護地域であっても利用できる油田が開発され、有害なタールサンドやオイルシェールからも石油が開発されていく。同じように、危機的状態下ではクリーンな石炭利用技術への投資は期待できず、環境を汚染していくだろう。
原子力 核反応炉の開発もリスクがあっても急がれるであろう。とはいえ、世界のエネルギー生産で原子力が占めるシェアは現在はわずか数パーセントだし、危機状態的状況下ではほとんど拡大できない。しかも、ウランも他のエネルギー源とも同じで有限だ。所期の目的を達成できまい。
再生可能エネルギー 再生可能エネルギーへもさらなる投資がされよう。とはいえ、原子力と同じく、世界エネルギー生産での再生可能エネルギーのシェアはほんの数パーセントにすぎない。危機的状態下で、どれほど急拡大できるかもわからない。そして、他のエネルギー源と同じく、再生可能エネルギーも原材料や投資が必要だ。だが、これもほとんどの損失の埋め合わせをできまい。とはいえ、再生可能エネルギーの可能性は原子力よりは高い。代替え燃料が時間内に開発されるならば、ピーク・オイルのインパクトを多少は緩和し、しばらくは、世界のエネルギー消費の衰退を先延ばしするかもしれない。エコロジー的にみれば、最大の希望は、省エネ、エネルギーの効率化、そして、再生可能エネルギーの組み合わせであろう。とはいえ、産業社会は崩壊し始め、自由貿易も崩壊し出すであろう(1)。
我々のほとんどは、化石燃料に依存する産業社会を変えずに続けることを望む。だが、様々な代替え資源の開発も10年以上かかってやっと実を結ぶ。革命的な技術的で問題となるのは時間だ。探索には時間がかかり、新技術の実施にはさらに多くの時間がかかる。さらに時間がかかることは、ラディカルな社会的チェンジに必要な「新たな意識」の形成だ。ピーク・オイルの影響を緩和するには、いまから、大がかりな適切技術のプログラムが欠かせまい。もし、このプログラムがなければ、危機が始まってから、とりわけ、ガソリンによる交通がじり貧となるという非常に困難な状況下で右往左往することとなろう(1)。
「産業社会がぼろぼろと崩れ始め、自由貿易が崩壊し始めることは必然だと思っています。とはいえ、これは、行動がなんら違いを生み出せないことは意味しません。レンガの壁に激突するのと干し草の山にぶつかるのとでは大きく違います。ピーク・オイルは干し草の山ではありませんが、人々が準備し、スムーズに没落するための適切な対策を講じるならば、それはレンガ壁である必要はありません」(2)
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