美しい農村景観を育んだ古代農法
南イタリア沿岸部に広がるテラス・レモン園、サハラ砂漠のオアシス農場、イランの古代の地下潅漑、ロシア極東の伝統的な森林マネジメント。こうした数多くの伝統農業は、まるで絵のように美しい景観を作り出している。 例えば、イタリアのアマルフィ(Amalfi)海岸では、水を保全し、日陰を作り出すユニークなテラスの古代農法が、レモン園の生産を支えている。 サハラ砂漠やアフガニスタンやイランの荒涼とした大地にも絵のように美しい場所が数多くある。これ も、古代の地下水路、カナート(qanats)が作り出したものだ。カナートは、重力だけに頼る自然流下で帯水層から水を集め、水の蒸発を防ぐことで水を効率的に活用してきた。
「生物的に極めて多様なオアシスや菜園を作り出すために、何百キロもかなたの山岳地から水が砂漠地帯にひかれています。それは、食料や栄養保障の面からも大変重要ですし、砂漠の中に抜きんでた多様性や美的景観を生み出しています。そして、そのすべては文化風習と関連しているのです」
そう語るのは、FAOのパルヴィズ・クーハフカン(Parviz Koohafkan)地域開発課長だ(1)。
人類にとって真に価値ありしもの
これらは、国連食料農業機関(FAO)が「世界的重要農業遺産(GIAHS=Globally Important Agriculture Heritage Systems)」と称するものの一例である(1)。世界重要農業遺産とは、グローバル環境資金(Global Environment Fund)の支援を受け、FAOが2002年に立ち上げたプロジェクトだ(2)。プロジェクトが目指すのは、世界的に重要な農業遺産を特定・保存するための体制確立で(1)、2002~2006年にかけての準備期間では、ペルー、チリ、中国、フィリピン、そして、チュニジア、モロッコ、アルジェリアのマグレブ(Maghreb)のオアシスとパイロット地区が特定されてきた(2)。そして、2006年10月24~26日にかけては、ローマのFAO本部で伝統農業についての3日間の国際フォーラムが開催され、5つのパイロット・プロジェクトの経験が議論され、次段階に向けたプロジェクトも検討されている。最終的には全世界で100~150もの伝統農業を登録し、世界農業遺産(World Agriculture Heritage)を創設することが目指されている。2007~14年にかけては、それまでの研究で特定された新たな保護方法を、地元コミュニティと一緒に実践することとされている(1,2)。
だが、ジェット旅客機やインターネット等、絶えず技術が進歩していくこの世界で、アンデス、ペルーの古代ジャガイモ農法や古代中国の米田での養殖農法、イランの放牧農法、チュニジア、モロッコ、アルジェリアのサハラ砂漠のオアシス農業がなぜ重要なのだろうか。それは、古代農法は、ただ環境破壊を防ぎ、美しい景観を産み出しているだけでなく、何世紀も人々を持続的に養い、かつ、今も養っているからだ(1)。
イタリアの伝統農法や砂漠化問題の専門家、ピエトロ・ラウレアノ(Pietro Laureano)氏は、環境破壊への第一の防衛線として、伝統農法の保護をずっと提唱してきたが、こう言う。
「人類の三人に二人の暮らしは、いまだにこうした技術で暮らしているからです。古代的と考えられてきた方法が、世界の多くの人々を養い、国もそうしたやり方で成り立っているからです」(1)
そして、前出のパルヴィズ・クーハフカン課長は、イラン出身で、テヘランとフランスのモンペリエ(Montpellier)で学び、FAOで24年も働いているベテランで(3)、農業遺産プロジェクトのコーディネータでもあるのだが、博士もこう言う。
「農村の貧しい人々の75%は、農業で生計を立てていますが、農民たちは信じられないほどの農法の管理人なのです。伝統農業は、今も全世界で200万人の食料を保障しています(2)。その多くは、人類にとって本当の価値があります(1)。そして、将来には、全人類が、おそらくこれを必要とすることになりましょう」(2)
クーハフカン博士は、小規模農業の支持者であって、増加する人口を養うには、小規模農業は消え去る運命にあるとの考え方にこう反論する。
「私は同意しません。数多くの都市流出があったとはいえ、いまだに小規模な農民の数は減ってはおらず、約10億人もいます。とりわけ、開発途上国の小規模農民たちは、国内や地域の食料安全保障のために働いているだけでなく、地域開発にも大きく寄与しているのです」(3)
危機にさらされる伝統遺産
だが、いま古代から続く文化やその技術は深刻な危機に直面している(1)。例えば、農業専門家の中にはチリ南部のチロエ(Chiloe)諸島が世界にジャガイモをもたらしたと言う人もいる。そして、何世紀も漁業や森林をコミュニティが支えてきた。だが、そのコミュニティは今、消え失せ始めている。 北アフリカでも、何世紀もオアシス周辺で暮らしてきた人々が、故郷を捨て始めている。
「モロッコでは国民の36%パーセントが最低の貧困生活を送っています。高まる人口圧と貧困がオアシスの生態系を乱しています」
マグレブの世界農業遺産パイロット・プロジェクトのノレディン・ナスル(Noureddine Nasr)代表によれば、数多くの人々がこうした地域を捨てイタリア他の欧州諸国に移住していると言う(2)。
ラウレアノ氏も、古代の集水技術が捨て去られ、近代設備を用いて、深井戸を掘削して大規模農業を始めたため、数多くのサハラのオアシスが消えうせつつあると指摘する。 だが、井戸はオアシスを破壊しながら、最終的には枯渇してしまう。工業的な近代農業は大量の水を必要とし、地下の帯水層を汲み尽くす。すると、帯水層には塩水が流れ込む。塩害を受けた土壌では化学肥料が必要となり、化学物質は土壌を痛め、雨水の浸透力をさらに剥ぎ取っていく。かつて豊かであった土地は砂漠に変わる。これは、中央アジアのアラル海から北米まで全世界で起きている「砂漠化」と呼ばれる現象だ(1)。
クーハフカン博士は、それが世界農業遺産プロジェクトを立ち上げなければならなかった理由だと語る。
「工業開発、汚染、気候変動、農村の貧困、大規模市場からのローカル経済の除外、都市部への人口流出。それが、直面する課題です(1,2)。私たちがそれらのケアしなければ、グローバル化で人類はこれらの遺産を失ってしまうでしょう(2)。地元住民の多くは、彼らが望む本当の生き残りの方法を失っているのです。自分たちの価値観を見失っているために、若者たちも学校に進学して、必ずしも農業に従事するわけではありません。ですから、伝統農法を維持するには、こうしたシステムの重要性を認識するようコミュニティを力づけ、とりわけ、そのローカルなガバナンスや社会システムを強化する必要があるのです(1)。先住民たちは、自分たちが手にしている数多くの宝物をたいがい意識さえしていません。ですから、自分たちが何を手にしているのかを理解し、この価値に対する自分たちの権利を理解することを助けることが大切なのです」(2)
伝統的小規模農業は効率的
とはいえ、古代からの伝統農業の多くは、環境破壊に対する砦として特定されつつあるし、クーハフカン博士は、大規模企業や近代農業に比べ、小規模な農民が非効率で非生産的であるとの通説を否定してみせる。
「もちろん、いくつかの大企業が非効率なように小規模農業が非効率な分野もあります。とはいえ、その生産体系をもっと幅広く見れば、たいがい小規模農民たちは大規模な農業者よりもずっと効率的で、はるかに持続可能なことがわかります。 小規模農民たちが手にしている唯一の資源は、天然資源や人的資本ですから、それを維持するためにやれるすべてをします。自分たちの遺伝資源を多様化させ、生産体制や収入源も多角化させる。このすべてが弾力性を築きあげるのです。 これは、食料生産に寄与しますが、同時に、環境の健全さ、立脚する天然資源の持続性、そして、結果として、暮らしの持続性にも寄与するのです。地球温暖化ガスの放出や土壌や水の汚染等、集約化によってもたらされるあらゆる外部性を含め、生産全体でビジネスと比べるならば、家族農場や伝統的な農民たちの方がずっとよく機能することが示されます」
では、伝統農業はなぜ非効率とされてきたのだろうか。博士は歪んだシステムのためだと指摘する。
「問題は、こうした農民たちが政府からの政策の恩恵を得ていないことなのです。ほとんどの発展途上諸国は、都市部門やサービス業の開発に重点をおき、農業や農村部門を無視してきました。農業に対するいかなる支援も潜在的に生産性が領域でなされ、大規模なインフラが支援され、山岳地帯や乾燥地帯の脆弱な土地で働く農村コミュニティは多くの配慮を受けていません。 一方、先進国では、大規模な生産システムを維持するために年間約3650億ドルもの補助金が投入されていることを忘れてはなりません。日あたりでは10億ドルです。このシステムの中で、小規模農民がどうすれば競争できましょうか。これは完全に歪んだシステムなのです」
そして、博士は、FAO職員内の西洋を進んでいるとする進歩思想にもあると指摘する。
「FAOの主な課題のひとつは『西洋』や『生産主義(productivist)』の価値観が席巻していることなのです。私どもの管理職たちのほとんどは、西洋の大学で教育を受け、セーフティ・ネットや社会的価値、多様性の重要性を認めません。そして、先進国に見出される農業システムを重視する偏見があるように思えます。西側で良いと判明した技術を真似して南側に移したいと思うのです。ここで良いものならば、あそこでも良いはずだと思い続けているのです」(3)
パラダイム・シフト
だが、博士は変化は可能だし、起きているとも言う。
「幸いなことに、こうした変化が非常に遅くても、いろいろなことが徐々に変化しています。最大のシフトは、1992年にまで遡りますが、数多くの社会や環境問題を緑の革命が産み出してしまったと国際社会が認識したことです。30年に及ぶ緑の革命は、困難な時期に数多くの人々を養うのに役立ちはしました。ですが、同時に、資源は使い果たされ、土壌や水も汚染されているのです。緑の革命の発想に立脚する組織や政策がいまだに優勢だという組織的な課題はありますが、幸いなことに、今は、こうした考え方も変わってきています。私たちは、今、自分たちの政策が間違っていたことを認めています。 2008年の世界銀行の世界開発報告は、開発途上国の成長エンジンが農業であるべきだと述べています。既にパラダイム・シフトがあります。
2番目は、経済成長で発展してきたすべての国が、その農業部門と小規模な家族農業システムに投資したという証拠です。 さらに、持続可能な惑星を望むならば、私たちの環境をケアする必要があることも明白です。土地、水、遺伝資源に投資する必要があり、私たちはこうしたシステムの管理人をサポートすべきなのです。その管理人とは農民たちです。農民たちはとても多くの品種の増殖、生産、維持の管理人です。企業ではなく、彼らにこそ、そうし続ける権利があるべきです。
小規模の農民たちは直面しているあらゆる困難にもかかわらず、地域開発でとても重要な役割を果たしていますし、これはますます認識されています。ですから、彼らの役割はとりわけ、気候変動に直面して、さらに重要となるのです。多くの政府と科学者たちは既に、彼らの小規模農業の可能性への意見を変えています。
また、小規模な農民たちの役割に対しての認識が広まっているだけではなく、市民社会の参加の高まりがあります。例えば、先住民や農村女性のプログラムがあります。世界農村フォーラム(World Rural Forum)との共同で、私たちは『家族農民のための国際年』として1年を宣言しようとさえしています。これは、家族農業の役割をさらに強調する助けとなりましょう。もし、これを3、4年前に話したならば、ユートピアとして知覚されたはずです。ですが今、それは現実のものになっている。そう。多くの前向きの変化があるのです」(3)
【引用文献】
(2) Sabina Zaccaro, Saving Life on the Edges of the World, Inter Press Service, Oct26, 2006.
(3) Jorge Chavez-Tafur, “The glassis half full” Interview Parviz Koohafkan, Farming Matters, Dec2009.
画像は(3)のサイトより
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