ガウゼの法則を超えて
生態学には「ガウゼの法則」として知られる法則がある。ロシアの生態学者ゲオルギー・ガウゼが、同じ資源を利用する2種類のゾウリムシを用いた実験から、同じニッチにある複数種は、安定的に共存できないと提唱した法則だ。とはいえ、実際の生態系では、限られた資源しかない海中でも数多くのプランクトン種が生息している。この「プランクトンのパラドックス」のようにガウゼの法則が成り立たないケースも多い。それは、時間的なラグや食い分け等によって競争を排除し、共存しているからだ。
さて、2010年4月29日の、ブログでは、インドでバラスバラマニアン(A.V.Balasubramanian)博士が、伝統的農業の英知を復活させるためにインド知識システムセンター(CIKS= Centre for Indian Knowledge Systems)を立ち上げた、と述べた。 博士は、生化学とバイオ物理学を専門に学んだ。だが、1982年以来、伝統的なインドの科学技術を理解、探究し、現代と関連する形でいかに適用するかに関心を抱いている。中でも、伝統的なヘルスケアシステムに関心をいだき多くの機関や組織と連携している。ヨーガ、アーユルヴェーダ、伝統的な灌漑、先住民の治金学や伝統的な科学の方法論について学び、執筆を続けている(1)。そして、2003年8月にケラーラ州のコチ(Kochi)でのBharathaaya Vichara Kendramが主催したセミナーで、伝統的なインドの習慣がいかにガウゼの法則を回避してきたのかを講演している。その要旨を紹介しよう。
資源を過剰に開発しない
インドは、野生の動植物資源の乱開発を抑えるための伝統が豊かだ。例えば、数多くのインドの村々では、共有地として村の森林を維持してきた。村の森は保護され、コミュニティによって慎重に活用されてきた。こうした森林から薪等を収穫するにあたっては、特定の規制がよくあった。例えば、ウッタラーカンド州のチャモーリー(Chamoli)県のゴペシャワール(Gopeshwar)村の森林では、週に一度各家庭で1人だけが薪を集める。結果として、ほとんどの地区では完全に森林が伐採されたが、この村の森林はまだよく保全されている。
資源利用には季節的な規制もある。例えば、ヒンズー教の月、サラヴァナ(Sravana=8月中旬~9月中旬)は、インドのほとんどで雨季のピークと一致しするが、多くのカーストが魚、家禽、肉の消費を完全に慎み、結果としてすべての狩りを中断させる期間でもある。つまり、ある特定の野生植物の狩猟は、1年のある時期に儀式上制限されている。このため、ヒマラヤのウッタラーカンド州のウッタルカーシー(Uttarkashi)県のジョコル・パナガリ(Jhukol Panagari)地区では、宗教フェスティバルの時期だけ、局所的にナクダール(Nakhdur)として知られる植物の塊茎が収穫される。この時期は、インドで二番目に高いヒマラヤのナンダデヴィ(Nandadevi)の近くの高山の花畑が咲き乱れる時なのだ。
ウッタラーカンド州のティヘリー・ガルワール(Tehri-Garhwal)県のヤムナ(Yamuna)川の淡水魚は、毒と網を使って獲られている。そして、毒殺された魚は、肉食カーストによって消費されるが、網による漁猟は通年認められていても、毒は、河川の流量が多く、かつ、毒の影響が時間的にかなり限られる祭りと関連する数日しか認められてこなかった。
カースト毎にニッチを特化する
インドの部族社会(Tribal societies)は、それぞれの狩猟区を持つ狩猟採集民族からなるが、この猟区は、最近までカースト制度によって継承されてきた。そこでは、利用される動植物に対する開発圧が均等に分散されてきたし、各カーストは、将来世代のために資源を継承する必要性を意識し、生活資源が過剰に開発されることを抑制する伝統文化を発展させてきた。そのひとつが使う資源の棲み分けだ。
各カーストは狭い地理的領域内で暮らしているが、利用する天然資源をわけている。各カーストは、ごく限られた資源に特化し、それは同領域の別のカーストのそれとはほとんど重ならない。このため、特定地域の特定資源は、長期にわたって維持されてきたのだ。 ニッチ多様化の2例をあげてみよう。
まず、マハーラーシュトラ州西ガート(Western Ghats)のクレストライン(crestline)県には、主なカースト、クンビス(Kunbis)とガヴィリス(Gavlis)が暮らす。クンビスは、谷や丘陵斜面の下側でのみ稲作を行う。一方、ガヴィリスは、丘陵斜面上側のテラスで農業を行い、水牛や牛を飼育し、少しだけ焼畑農業を行う。クンビスは野生動物の狩猟を行うが、家畜は牽引用に数頭の牛を飼育しているだけだ。一方、ガヴィリスは、放牧する家畜からバターミルクを取り、それをタンパク質源としているが狩猟はしない。そして、このバターをクンビスの穀物と交換している。
マハーラーシュトラ州西部の準乾燥地の遊牧狩猟民、ナンディヴァジャス(Nandivallas)、ファセパラディス(Phaseparadhis)、ヴァイダス(Vaidus)族でも棲み分けが見られる。ナンディヴァジャスは狩猟専門の部族で、犬を用いて猪、ヤマアラシ(porcupine)、オオトカゲ(monitor lizard)等の大がかりな狩猟を行う。ファセパラディスは、インドカモシカ、鹿、鳥の狩猟に特化し、ヴァイダスは、マングース、麝香(civets)、ジャッカル、猫等の小型肉食動物を罠を仕掛けて獲る。つまり、3つのカーストは異なる狩猟技術を用い、別の種を狩猟しているのだ。
野生動物を種として保護する
インドの有名な叙事詩、ラーマーヤナでは、狩猟部族の詩人ヴァルミキ(Valmiki)が、1つがいの交尾する鶴の1羽が殺されることを目撃し、インスパイアーされて初めて詩を作る場面から始まる。だが、こうした殺害は、厳密に行き渡たる倫理に反する。事実、コウノトリ(stork)、ギンシラサギ(egret)、サギ (heron)、トキ(ibise)、鵜(cormorant)、ペリカン等の居留地、ヒロナリー(heronaries)は、巣に最も近い村からずっと完全に保護されている。 例えば、インド南部のカルナータカ州のバンガロールには、文字どおり、「コウノトリの村」(Kokra-Bellur)として知られる村がある。そこでは、コウノトリ(painted storks)や灰色ペリカン(grey pelicans)が、はるか昔から村の通りに立ち並ぶ木の上で繁殖してきた。村人たちはハンターを追い払うだけではなく、巣造りをしている鳥の妨げになるのであれば、写真家を追い払うのだ。村人たちは、農地の肥料源として、合理的な鳥のグアノの価値を意識している。
マハーラーシュトラ(Maharashtra)州のバンダーラ(Bhandara)地区では、伝統的な漁業カーストは、丘陵地の河川での淡水魚を決して擾乱したりはしない。マハーラーシュトラ州のアフマドナガル(Ahmednagar)県のファセパラディス(Phaseparadhis)の狩猟部族が主に狩猟するのは、インドカモシカ(blackbuck)だが、子鹿や妊娠した雌ジカが罠にかかったときには、伝統的に解き放つと報告されている。
動植物を聖なるものとして守る
インドでは、様々な動植物が、神聖なものと考えられることで、絶滅を免れてきた。例えば、最も広く保護されているのが、インドボダイジュ(peepal=ficus religiosa)だ。 紀元前2000年前のモヘンジョダロでも印鑑上でイチジクが表現されており、イチジクも神聖なものであったと考えられる。イチジク属は、熱帯の生物多様性を総合的に維持するうえで「かなめ」となる植物であり、これを保存したことは、果実を常食する鳥類、とりわけ、鳩の保全に役立ったであろう。
それ以外の動植物は、各地域や特定のカースト毎に「神聖」とされるもので、普遍的に保護されているわけではない。例えば、クジャクは、シヴァ神の二番目の子ども、カールッティケーヤ神(Lord Kartikeya)にとって神聖なものとされたため、狩猟されることがなく、タミル・ナードゥ州のカールッティケーヤの寺院には豊富にいる。クジャクはグジャラート(Gujarat)州西部やラージャスタン(Rajasthan)州全域でも広く保護されている。 青カワラバト(blue rock pigeon=Columba livia)も聖者シャー・ジャラル(Hazrat Shah Jalal)にとって神聖なものとされるため、保護され、バングラデシュの農村では人工に巣を作り繁殖が奨励されている。齧歯動物さえ保護されることがあり、ラジャスタン州の有名なカンリ・マタ(Karnimata )を祭る寺院には豊富にいる。
また、各カーストやその制度内の数多くのクランも、ある種の動植物トーテムとしている。このため、それを破壊することはなく、他者にも破壊させずに守っている。例えば、マハラシュトラ州では、以前にマラタ(Maratha)が共通語であり、この言葉を話す人々のカーストがある。このマラタ・カーストのうち、モレス(Mores)とゴルパデス(Ghorpades)は、その一族名がトーテムの動物であるクジャクとオオトカゲに由来するため、それ以外の部族は探して食べても、彼らはこれらを保護する。
ラジャスタン砂漠の住民、ビショノイ(Bishnoi)教徒はヒンズー教の一派として1485年に設立されたが、緑の葉の付いた樹木は決して切らず、あらゆる動物も殺さない。また、地域で経済的にも重要なマメ科の樹木(khejdi=Prosopis cinerare)を最も神聖なものとしている。1630年には、 ジョドプール(Jodhpur)王が、新宮殿を建設する燃料用にこれらの木を切り倒とうとしたところ、363人のビショノイ信徒が、木を守るために自らの命を犠牲にしたとの記録が残されている。ビジョノイ教徒もblackbuckやガゼルの一種、チンカラ(chinkara)等の野生動物を保護している。この伝統は今も生きており、ビショノイ教徒の村は、インドの砂漠の中でも、野生生物や緑が豊かなのだ。
聖なる木立と池や沼が空間を保護する
ガウゼ(Gause)の古典的な実験が示すように、「捕食者と被食者」からなるシステムで、食われる側の絶滅を防ぐうえで、非常に効果的なやり方は、捕食者から逃れられる場をもたらすことだ。インドでは、そうした伝統的な空間として、流域に沿った神聖な木立、池や沼のネットワークを設けてきた。インド全域には、何かの神と関係することから地元コミュニティが特別に保護している植生地や神聖な木立がある。それらは、数100㎡から50ha以上の土地や水域からなるが、神々に捧げられるため、動植物はあらゆる開発にさらされることがなく、伝統的にまったく開発されてこなかった。
西インドのアラヴァリ(Aravalli)丘陵ではジョグマヤ(Jogmaya)神と関連し、Oransとして知られる木立があるが、そこでは、金属を使って薪を持ち去ることが禁じられてきた。また、インド南部西海岸のカルナータカ州のウッタラ・カンナダ(Uttara Kannada)県、ウドゥピ(Udupi)県、ダクシナ・カンナダ(Dakshina Kannada)県からなるカナラ(Kanara)地域では、最近まで神聖なる木立のネットワークが、元の状態のままで、小さな薮から1haまでの極相植生の島々をなし、地域の約5%もカバーしていた。これは、熱帯の生物多様性を保存するうえで効果的なやり方であり、今も、こうした神聖なる木立で、他地域で絶滅した植物種が新たに発見されている。例えば、蔓性のwoody climber(Kunstleria keralensis)がそれだ。
バングラデシュでは、あらゆる寺院には少なくとも1つの池があり、そうした池に棲む動物は侵されない。うち、2つの聖なる池は絶滅危惧種を保全していることから生物学的に興味深い。Khan Jahan Aliは沼地ワニが飼育され、Byazid BostamiにもTrionyx nigricans亀がいるが、これが世界では、唯一の亀の生息地なのだ。西暦300年に、初期の仏教徒の寺院が占拠された場所にイスラム教のByazid Bostami寺院は建てられたのだが、亀と神聖な池の保護の伝統は、イスラム教にも同化されたさらに古代の伝統のようなのだ。
農業生物多様性を維持する
インドは、栽培作物の多様性も豊富だ。主要作物の一例としてコメをあげれば、ヴェーダの時代には、約40万の品種があったと、米の専門家、リチャリア(R.H.Richaria)博士は評価している。博士は、2万種のコメをマディヤ・プラデーシュ州とチャッティースガル(Chhattisgarh)州から集め、特定している。米は毎年国内で栽培されるが、栽培標高は海抜3m以下から2100m以上まで及ぶ。降雨量も年間に500ミリから5000ミリまで及ぶ地域で生育するコメ品種があるのだ。数多くの農業生物多様性の保全と関連する文化的な習慣がある。
例をあげよう。 オリッサ州のプリ(Puri)のジャガンナート(Jagannath)寺院では、毎日、新たに収穫された米を料理で出す習慣がある。これは、年間を通じて収穫できる数多くの米品種があったという意味だ。 カルナータカ(Karnataka)州とアーンドラ・プラデーシュ(Andhra Pradesh)州では、毎年、正月にはウガリ(Ugadhi)と呼ばれる祭りが開かれる。この祭りでは、適切な品種を選抜するため、様々な種子の発芽力を試す儀式が開かれる。タミル・ナードゥ州にもムライパーリ(Mulaippari)祭があるが、同じ機能を果たしているように見える。様々な穀物品種の特性を観察・理解することで、用途や状態に応じて播種されるのだ。例えば、タミル・ナードゥ州には、砂や埃が舞う乾期に播種することに適した米品種があるのだ。
宗教と文化として社会に織り込まれたエコライフ
現在、環境に優しい科学技術や開発モデルが全世界で求められている。とはいえ、そのほとんどは、過去数世紀に環境を破壊した工業化のツケに対する後追いの処方箋でしかない。「もっと、自然に優しく」という声は広く議論されているものの、それは、本質的には自然と対立する哲学の「調整策」でしかない。 これとは対照的に、インドには、明らかに生物多様性や生物資源の保全と関連する伝統があった。過去200年でインド社会は大きく変化したが、多くの伝統や習慣は残されてきたし、この伝統を見れば、インド社会がその基本概念からして、本質的に「エコロジー的に自然に優しい」ことがわかるのだ。あらゆる社会的、文化的、宗教的習慣や伝統が、エコロジー的に優しいことを示すし、それは、社会の核心にまで浸透し、織り込まれていたのだ(2)。
【引用文献】
(1) 写真はインド知識システムセンターのサイトから
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